文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

ソチ・オリンピック

ロシアのソチで開かれている冬期オリンピックが終わりに近づいた。テロが心配されたが順調に見える。このまま無事に終わって欲しい。女子スキージャンプの高梨沙羅選手は金どころかメダルなし、前評判ではメダル圏外にいたスキージャンプの葛西紀明選手が銀メダルと、いかに予想が予想に留まるかの見本のような競技だった。私はこれ以下はない、という運動音痴というか、できない、知らない、経験したことのない世界なので、どの競技も均一に眺め、興味津々で自己流に楽しんでいる。
オリンピックとは少し離れた関心事になるが、美しいフィギュアスケートは飽きることなく眺める。私は、以前に活躍したドイツのカタリーナ・ビットが気に入っていて、以後、もっとも気に入っていたのが安藤美姫だった。このふたりには国境を越えた優美さがあった。日本では今、浅田真央選手に絶大な人気が集まっていて、贔屓の引き倒しが案じられる程だった。フリーの演技が終わったときにインタビューに答えて「取り返しがつかないことをしてしまった」とショートで16位と出遅れたことを振り返ったのを聞いていて私は、本音を言葉にしたと感じ、心底哀れに思った。これほどまでに思わせたのは好意に充ち満ちた多くの人の力だろう。
「取り返しのつかないこと」は、ある。しかし今回の真央ちゃんが、一夜にして自分自身の内側から立ち直ったように、取り返しがつくことはたくさんある。じゃあ、ほんとうに取り返しのつかない事って、どういうことだろう。誰しも思うこと、それは「死」の手によって持ち去られた命だ。これこそ取り返しがつかない。夏目漱石も書いているように、それ(死)以外のことは、すべて喜劇と言い切ってもよい。
しかし、ひとつ付け加えるとすれば、として私はオペラ「カルメン」のワンシーンを置きたい。第一幕、カルメンが伍長のドン・ホセに薔薇の花を投げる。この瞬間、舞台に流れる旋律は「ああ、取り返しのつかないことになってしまった」という悲痛きわまりない、しかしなんとも甘美な味わいを持つ音色である。私は、何度聴いても聴くたびに胸が締めつけられる。引き返せはしない、取り返しがつかない。この旋律に、恋という雷に打たれた無垢の青年の命が乗せられて、破局へと流れゆくのだ。
それはさておき、どうしてこれほど真央人気が高いのか。どうして韓国ではキムヨナ人気が高いのか。私は、キムヨナさんの、いつもと変わりない演技を見ながら彼女にチマチョゴリを着せて見た。うなじの傾けよう、切々と腕を伸ばし訴えかける表情。これが似合うのだ、民族衣装に。勿論、他国の選手にも着せて見たがそぐわないこと夥しい。そして和服での舞い姿は、真央ちゃんでなければ似合わなかった。他国の選手では香りが立たない。それぞれの国の人々は、馴染んだ香りをかぎ取り味わい、楽しむ部分を持っているのではないかと感じた。真央ちゃんが表現力云々という評があるが、「和の心で舞う乙女」として眺めた場合、これ以上はないほどの素晴らしい「舞い」なのだと思った。おまけに真央ちゃんの顔は、おひな様そっくりではないか。おひな様の舞姿とも見えるほどだ。点数としてカウントされる技術の部分は、スポーツとしてやっているので、この感覚には関係はないことだ。
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