文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

ブラックボックス

ブラックボックスという名前を知ったのは、航空機事故のときだった。これを事故現場から回収すると、いろいろな情報が読み取れるというので、それは凄いことだなあ、と感心した。これは旅客機に装備されているものであり、黒いどころか真っ赤だった。ブラックボックスというのは、箱の内容物が隠蔽、封印されていることを、ブラックホールなどのように喩えて表現したものだった。
これをきっかけに暮らしまわりのものを見たら、開くことができない箱、たとえこじ開けてみたところでちんぷんかんぷん、なにがなにやら分からないものが沢山あった。気がついたときはすでにブラックボックスなしには成り立たない暮らしになっていた。キーボード、マウス、リモコン、あらゆるボタン、みんな中身が分からないのに便利に使っている。自動車も自分でいじることができたのは大昔のことで、ボンネットを開けてもほとんど何もできない。あらゆる機械ものを修理に出しても、受けた側ができることは部品交換だけだ。ガレージでも電気店でも、部品が来るまでお待ちください、という始末で、技術者なんか不要になってきた。
利用は、あくまでも簡単になり、これなしには生活が成り立たない、という機械ものに囲まれて暮らすようになってしまった。
ブラックボックスが消滅したら? という世界を想像して、これに立ち向かえる能力を鍛えておこうと思う。
福島第一原発事故。4年経った。風化させるな、と声を上げる者がいるが、風化どころか緩慢な、見えない汚染は広がり続けていて、日増しに深刻な状況に陥っているのが現状だ。まだ、故郷へ帰れない人たちがいます、はやく帰れますように。という目先の優しさは、本当の手助けではないと私は信じている。結果は、孫、曾孫のその末にでるのを、承知の上ではやし立てて復興を勧めているのは誰なのか、なぜ勧めるのか、考えなければいけない。故意に放射能被害をブラックボックスに閉じ込めようとしている政策を許してはならない。この箱を作らせないようにするのは、事実を事実としてみる視力だ。見ず、清し、では済まされない。
広島、長崎の犠牲者たちが福島の上空に蝟集し、破滅的惨状のブラックボックスを見下ろし、わたしたちは、これに殺されたのだよ、と伝えている声が聞こえないか? 
見えないもの、触れることのできないもの、ブラックボックスが生活を支える一方で、ブラックボックスは、取り返しのつかない災厄を及ぼした。人の死を食い止めるブラックボックスはない。普通の人々を和ませ、安心して生きていられるようにする力は、ブラックボックスにはない。普通の人たちの、普通の感覚が世界を救うはず。
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