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壺猫

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関東大震災

今年は、例年になく関東大震災についての報道が多かったので、私も吊られて当時の思い出話を記すことにした。子どもたちにも伝えていなかった、と改めて気づいたので、聞き伝えだけれども、記すことにします。
私の母は、大正元年生まれだから、関東大震災当時は12歳だった。住んでいたのは東京、高田馬場の木造平屋の一戸建てだった。その日は両親が出かけていて、母は弟と二人で留守番をしていたという。二人だけといっても、ねえやが居り、お昼ご飯ができました、冬瓜ですよと、言ったという。そのとき、揺れた。母の言い方は、「ねえやが冬瓜、と言ったときに揺れて、弟が壁の下敷きになってしまった」というものだった。私は、直立している壁の、どこにどのようにして下敷きになったのか、想像がつかないまま聞いていたが、今思えば、土壁が崩れ落ちて、木舞から外れた土塊に弟が埋まったということだったのだ。母は、弟を泥の中から引き出したが、大揺れの家の出口が見つからず、目の前の窓から表へ逃げ、小学校の校庭へ走った。母の母が飛んで帰ってきたとき、ねえやは潰れた家のそばで震えており、倒壊した家の隙間に母の赤い三尺が引っかかっていた。母の母は、その三尺を見るなり、子どもたちが死んでしまったと思い泣き崩れたそうだ。のちに母は、弟を助けて小学校まで避難してきた「業績」を褒められて表彰されたという。
いったん小学校へ集まったのちに、一家は本家へ避難した。本家は同じ高田馬場にあり、こちらの家屋は揺れただけで助かっていた。広い庭の奥の方に総勢がかたまっていたという。皆、喉が渇き、お腹も空き、スイカを手に入れたという。近くに畑がいくらでもあったという。さて、スイカを食べよう、包丁を台所から持ってきて切り分けよう、となったときに、誰一人として台所へ行こうとする者がいなかった。家は揺れ続けており、怖くて近づけなかったそうだ。母から聞いた話は、ここで終わっている。
その後、小学校でも、親から聞いた震災の話を、度々話し合った。地面が裂けて、大きな亀裂に落ちた話を覚えている。今回の東日本大震災のときも、水泳教室で集まったときに、関東大震災の話をし合った。横浜で震災に遭った話を始めて聞き、90年経った今も、この大きな震災は関東の人たちの間に生き続けていることを体感した。
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