文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

老人ホーム

老人ホームのダイレクトメールが何通も来た。お墓のCM電話も受けるが、これには関心がない。老人ホームの豪華なパンフは楽しんで眺める。リゾートホテルみたいだなぁ。いや、実際、人生のリゾートホテルと言えるかもしれない。後ろ盾に病院がついており、3度の食事はリクエストするだけで欲しいものが出てくるところもある。仲良しの友達が都内新築のホームに入ったので、始終電話しておしゃべり遊びをしている。私は言う、台風たいへんなの。メダカが流れちゃうの心配。返事は、いいわねえ〜。秋の虫が鳴きだした! と私。いいわねえ、聞こえるのね? あ。聞こえないんだ? 何も聞こえないわ。そうか、エレベーターで上の方に上がった部屋なんだわ。当たり前のことを、何気なく喋っても、いいわねえ、という声が返ってくる。つい、この間までは、ほんとよねえ、と言い合っていたのだ。なにが変わったのかしら。
私は、大きなことを一つ、見つけた。それは、どんな高級ホームにもないものだ。ホームから生まれて巣立ってゆく命、これがひとつもない。当たり前。事実。ホームから静かに立ち去る命は、あの世へ消えてゆくのだ。それは、長かろうと短かろうと、いずれ必ず我が身にやってくる定めであると、入所者は納得してはいる。
泥棒の心配をし、火の用心をし、台風にうろたえ、ヤダヤダと文句たらたらで暮らす俗世には、さようならがお目出度うの場合がたくさんある。卒業。転勤。結婚して引っ越し。ホームに育つ命を作って欲しいと切に願う。メダカ飼ったらタマゴ産んで、子メダカが育ち、目が離せない。小さな命の躍動は素晴らしい。タニシだっていい。タニシは単身でジャンジャン子タニシを産むから景気が良い。
繰り返すことになるが、人は死ぬ一方の世界に閉じ込められたら、その時点で死んだも同然ではないか。いかなる悪行を積んだとしても、死刑囚となった瞬間に、死んだも同然なのではないか? しかし、死刑囚には、まだ道が残されている、脱獄という道が。ホームから脱走者がでるだろうか。生きる者らには、生も死も必要だと思う。
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