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壺猫

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信、ふたたび

信は、人と言によって成り立つ。元来、言は神様に誓う語です。言葉を用いて生きる人間にとって、これほど重要なことはありません。これを崩したら人でなしです。誓うことと同じ重さを持っているのですから。誓うことで発言に鍵がかかり、発した方も受けた方も、これを信ずるのです。
あのように言ったが、あれは言い過ぎだったとか、あの時は、はずみで言ったんだ、とか私は口にしたことがありません。高校生のときに、偶々所在なく並んでいた両親に向かい、一度言ったことは何度でも言う、と宣言して以来、一貫しています。
しかし、このような姿勢は良し悪しです。私が本気で「私は、このように致します」と書いたり発言していることを受け取りながらも信ずることなく、結果として無視した態度であしらわれた場合、実に虚しいものを感じます。それが文筆に携わる者である場合は絶望感で圧死しそうになりますが、アメーバ的あいまいな言動で生きることこそ処世術と心得て、我こそ賢く生きているという自覚を持っている大半の人との付き合いでは、黙して堪えないと世間が狭くなります。
では大半の人々は、何に信を置くのでしょうか。不信の世界に生きているのでしょうか。それは我慢ならないし、できないでしょう。当然代替物があるわけで、それゆえに経済も発展するのではないでしょうか。
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