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壺猫

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自分を信じない

自信がある、ない、という。これは自分の能力を信ずる、自分自身を信頼する、というような意味でしょう。
最近私は、自分自身の運動能力を信用しないことにしました。
高齢者の自動車運転能力について危ぶむ声があちこちから聞こえますが、車どころか自分の体を動かすことさえおぼつかないというのが現実じゃないでしょうか。
高齢の知人たちから、なんとしばしば「転びニュース」が届くことでしょう。転んでもただでは起きないのは若者です。タダでは済まないのです、骨折へ、安静へ、と進んでゆきます。

私は長い間犬と暮らしてきて、今は猫と暮らしていますが、犬、猫たちから学ぶことの一つが、高齢化した時の暮らし方です。
犬の場合、散歩している時に出会う相手と自分自身との力関係を、瞬時に見てとります。相手が犬であろうと、人であろうと、なんであれ動くものに対して見計らうのです。
壮年期の充実している時代には、胸を張り、正面から相手を見据えながら堂々と歩をすすめる、その様子は自信に溢れたものです。
犬の性質にもよるのでしょうが、私の相棒犬、千早は、攻撃的な気持ちは湧いていないが、比較にならないほど自分は強い、という気持ちに満ちていることが伝わってきました。
やがて高齢になり、歯を、特に犬歯を失った後の千早は態度が激変しました。
行く手から近づく大型の若犬に対してどうするか、というと、気がつかない顔をするのです。素知らぬ風で目をそらせるのを、相手も受け入れてくれて知らん顔ですれ違います。
冒険大好きで、どこにでも一緒に行っていた相棒だったのに、年を取ってからは毎日決まり切った散歩の道だけを、なぞるように歩くことを好むようになり、
しかも草の葉や石ころの一つなどに鼻を寄せて仔細に嗅ぐことが目立つようになり、慣れた場所で馴染みのにおいを確かめることが、彼女の大きな満足になりました。
年をとるって、こういうことなんだ、それを自然に受け入れて暮らしていると感じて、しみじみと心にしみたのでした。
その後、猫と出会って最期まで一緒にいましたが、この猫からも学びました。
隣の家の物置小屋の屋根から、わが家のベランダに、まるで空に浮かぶかのように身軽に飛び移ってくる。後足の跳躍力の凄さ。跳ぶ前に注意深く見計らう眼差しの真剣さ。
そして思う通りのジャンプを成功させます。
野生のものたちは命がけですから、スズメもツグミもムクドリも、猫に狙われたら必死で身を守る、それぞれの能力全開で猫から逃れようとしますが、若猫の能力はそれに勝っています。
この子、メロデイは、やがて高齢になり、1メートル足らずの台に飛び上がることができなくなりました。
推し量っている眼差しを見つめていると、彼女が自分の体力と台の高さを考えて、やめよう、と決めている気持ちが伝わってきました。
メロディは、記憶にある能力、空に浮かぶかのように跳躍できた過去を完全に棄て去り、今現在の自分の体力と相談しているのでした。
私たち人間は、なんと記憶を大切に抱え込むことでしょう。
二段飛びで駅の階段を駆け上がった記憶を抱えながら、玄関の上がり框に引っかかって転ぶ姿は、猫も呆れる馬鹿らしさではないでしょうか。
凡人の私は、仲良しだった犬の千早、友達だった猫のメロディから学んだ知恵に従い、過去の記憶に座らず、今の自分を見据えることにした次第です。

ロシアの作家、レフ・トルストイは、82歳の時に家出をして鉄道の駅舎で命を終えました。
寒いロシアの11月末です、承知の上での行動は、人間が記憶から自由になれないこと、肉体で生きることを超えて心で生きる生き物であることを伝えてくれるように思います。



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