文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

ヒトの悪口

この私が言うことである、そのつもりでお読みいただきたい私の意見です。(実は、カワイさんでなくて、だれか有名な人が言ったのなら皆が耳をそばだてるんだが、と言われたことがあるのでして)
政治家、小沢一郎について。この際、有名人故に敬称を省略させていただくことにします。
私が、初めて彼に注目したのは、幹事長になったときで、まだ40代だったはずである。名が出るようになってから、小沢一郎ほど悪口を言われる政治家も珍しい。「政治とカネ」という表現で非難され続けた。が、私には政治がどうしたのか、お金がどうしたのか、さっぱりわからなかった。西松事件と言われる一連の事件も、結局はでっちあげの大嘘コンコンチキ。フォローしてきたおかげで私は、日本国が民主国家でなく、三権分立さえもお題目のヘドロ国家であることを知ってしまったのだが、それはさておき、いまは悪口の話です。
出所不明の悪口が漂う一方で(実はメディアの作為だが)個人が公然と悪口を言う。石原慎太郎などは、小沢は大嫌いだという。仙谷由人も、渡部恒三も軽々と言う。ほかにも雲霞のごとくいる。
さて、ここからが私の意見で、この行為が悪い、この考え方について反対だ、という発言は、とても良いことだと思う。言わねばならない。
一方、具体的なことを何も挙げずに、漠然と悪い空気を広めて多くの人に、それを共有させようと図るのは、卑怯、悪質な態度だと思うのだ。誰しも好き嫌いはあるだろう、虫ずが走るほど嫌いだったら、胸底で(嫌いだあ)と思っていればよいではないか。悪口を拡散する人たちや組織は、表だって言えない理由を抱えている。公言すると差し障りが出る、個人的な利得が絡んでいる、そう勘ぐられても仕方がない。悪口は言うべきではない。悪口は、自らを矮小化させる。これは国家を論ずる場合に限らず、自治会などのような泡沫規模でも同じことで、自分を汚し、小さくする。
この長期にわたる膨大な悪口に対して個人攻撃を一切しないでいる小沢一郎という人物を、私は胆力のある人だなあ、と感じている。肚にやましいものを抱えていると、どうしても表情に歪みが出るものだ。麻生太郎、前原誠司の歪みを見ると、よく分かる。

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