文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

悟った!

長年、座禅に関心を寄せており、今までに座禅をする機会に恵まれたことが二回あった。
が、それぞれ具体的な不可能理由が生じて中止していたが、改めて接することになった座禅は続いている。今回はお寺に行かず、御坊様にも会わず、テキストとVTRのみという座学である。
実際にお寺で経験していることが土台にあるお陰にちがいない、一日も欠かさず続けてこられて最近では、これがないと、その日が始まらない気持ちになってしまった。
一日一回の座禅が安定したならば、夜明けと日暮れどきに、つまりお寺の鐘が鳴らされる朝夕に行いたいと願っている。
続けてみて初めて発見できる事柄が多い。テキストの師家は山川宗玄という、私よりずっと若い御坊様だが、話すことの端々に宝物がたくさん転がっている。
端々ではない、中心に置かれるものは、それこそ大切な宝物なのだが、それ以外にも、という意味だ。
合理的にできているんです、とおっしゃる。これが、わかってくる。わかってくるのが面白いし嬉しい。
座禅という行為が世間で言われる無念無想というキャッチフレーズに覆われて見えない部分、身体を整えるため、呼吸を整えるため、という、この二つの部分が如何に大切か、このためだけに座禅をしても良いくらいだと身にしみてきた。
山川師家は椅子座禅もお勧めになる。
仏教はインド生まれだから、インド人の体格に向く修行方法なのだ、足を、あのように組むのは日本人の体格には元来不向き、座禅はヨガの一形態なのだという。これは無理にするべき体型ではないと安心した。
座禅の基本は、健康体を作ることにあるのだな、と「悟った」。
食べ物も、土地の野菜と米、そして多様な豆類だ。これに海藻が加わっているようにも見える。僧坊の食事時間は早朝と正午の二回で、夜に薬石という名の軽い食事がつくという。
アラビア人の食事時間が夜明けと正午の二回だという話を読んだことがあるが、この習慣と重なるものがある。夜の食事を軽くすることもまた、健康に良いのではなかろうか。
などと思い巡らせた結果、お坊様が長命であることは決して偶然ではない、と「悟った」。
僧坊の真似をして濡れ雑巾で拭き掃除をする。棒の先に板っきれをつけたものに、不職布のようなシートをつけて拭き回れば楽々なのだが、楽をして身体を怠けさせて何か良いことがあるのだろうか。
フィットネスクラブに入って白ネズミが輪車の中を駆け回るようなことをやって時を過ごし、家ではじっと動かない暮らしって、私には向いていない。
最近嘆かわしいことは、抜け毛が激しいことだ。白髪が目立つ、あっちにもこっちにも落ちている。ブラッシングしてたくさん抜け毛があるのに、まだ抜けるつもりか、と呆れてしまうが止まない。
今の季節、秋は猫の毛は増える一方で抜け毛は皆無に近い。春先には大量に抜けるために掃除に困難を極めるが、この問題は横に置いておいて、人間の抜け毛だけを思うとき、ハタと「悟った」。
お坊様が坊主頭であることは合理的なのだ。僧坊がいかに広くとも、大勢の坊さんたちが長髪で修行をしていたら、掃除が桁違いに大変だろう。
座禅は興味が尽きない、次々に悟ることができる。

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