文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

東京の大雪

あれは何時のことだったろう、と思い出そうとしたが忘れきっていた。東京地方の大雪のことだ。そのとき、近所の個人宅の車庫が雪の重さで潰れた。たいていのガレージの半透明の”さしかけ”が潰れたのだ。私の家では潰れなかった。どうして? って、屋根がないからです。こんどの大雪では一軒だけ潰れた。以前に潰れた家々では頑丈な’さしかけ’に取り替えていたので車は無事だった。
ところで山梨県の梨農家をはじめ、東京近県のハウス栽培農家が甚大な被害を受けた。何年かかっても元通りにならない大切な木、金になる実のなる木が潰れてしまった。個人宅のガレージは、それぞれが修理するし、なければないで済むものである。が、農家はそうはいかない。生活の基盤である。自力修復は不可能。公的機関が援助することにならざるを得ない。イチゴのハウスも、潰れた下からイチゴを摘んで、ジャムにしようと頑張っている姿は痛々しい。税金で助けるということは、市民全員が寄ってたかって助ける、という意味だ。
私は、これはおかしい、ヘンだ、間違っていると思う。前から、止めればいいのに、と苦々しく感じていた。それはハウス栽培のことだ。関東平野は気候温暖で露地物栽培に適している。現に埼玉のネギ、群馬のコンニャクを見て欲しい。一面のネギ、コンニャク畑だ。できるのになぜハウスか。石油を使って温めて、自然に育ち、実が実るよりも一足先に市場に出したいからだ。あら珍しい、もうキュウリがでているわ。これは既に昔の話だ。今は一年中スーパーに山積みされているキュウリであり、トマトである。当たり前になっている。クリスマスの時期に、あれだけふんだんにイチゴが並ぶのも、費用と人出をかけている故だ。その代償は消費者が背負う。鶏か卵か、という話になるが、消費者も、生産者も目を覚まして欲しい、というのが私の意見だ。
私は、いまどき出回っているキュウリもトマトも食べたくない。あれほど美味しさがない、色と形だけのものなんか、買いたくない。買わなくても豊かなメニューの食卓を用意できる。
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