勇気、ふたたび オバマ演説を聴いて
31-05-16 10:41 更新
2016年5月26、27日に、第42回先進国首脳会議(42nd G7 summit)が三重県志摩市神明賢島で開かれた。7ヵ国のメンバーは、フランス・オランド共和国大統領、アメリカ・オバマ大統領、イギリス・キャメロン首相・ドイツ・メルケル連邦首相、イタリア・レンツィー首相、カナダ・トルドー首相、日本は安倍総理大臣。
何ヵ月も前から、伊勢志摩でサミットが開催されると騒いでいた大行事が事なく終わった。この間、福Ⅰの作業は停止、東京はじめ関連地域は厳戒態勢を敷くなど緊張感に覆われていたが、ともあれ事なくお開きとなったようだ。ほんとうにテロがなくてよかった、警備関係の人たちが肩の荷を降ろしていることだろう。私はカナダの首相が、ピエール・トルドー元首相の息子さんと知ってびっくりした。一世代進んだのだなあという感慨が深い。
オバマ大統領は、この会議の後に広島を訪れた。彼の演説は、終始静かな口調だった。
この演説の草稿を書いたのは、ベン・ローズ大統領副補佐官(国家安全保障問題担当・38歳)と言われる。その原稿は関係省庁などの目を経て再稿が書かれ、これにオバマ氏が手を入れたという。
これは太古の人類から未来の人類へ貫く、壮大な叙事詩だった。よくまあ、これだけの短いスピーチで大きな物語を語ったことだろう、驚愕した。
冒頭の「死が空から降りて、世界が変わった」という表現は、多くの人の心にひっかかり、降ってきたんじゃない、落としたんじゃないか、という反発が聞かれた。しかし、直後に続く言葉、「人類が自らを破滅させる手段を手にした事を示した」という大きな視野が、これから始まる演説の扉を指し示し開いてみせたのだ。言い訳として、空から降ってきたんだ、僕たちがやったんじゃないんだというレベルの意識ではないと伝えていることがわかる、見事な出だしだ。
この演説の中には、深い悲しみと慚愧の念、太古から連綿と続く不条理。心の支えであるはずの宗教が抱える矛盾。この部分は、欧米諸国のみならず、世界の多くの国々が肌で感じる大切な部分であるが、日本人のほとんどは聞き過ごし、見過ごし、感ずるものがないのではないかとは、思ったが、最も重要な要素の一つで、外すことは出来ないだろう。
私は、終盤に示された「私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません」(Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them.)
という部分に注目した。そう、恐怖なのだと改めて思う。攻撃の奥底に居座っているのは恐怖だ。そしてここから解脱するのは勇気を持つことなのだ。今年のキーワードである勇気に出会った、まだ5月だ、もっと勇気と出会うだろう。
何ヵ月も前から、伊勢志摩でサミットが開催されると騒いでいた大行事が事なく終わった。この間、福Ⅰの作業は停止、東京はじめ関連地域は厳戒態勢を敷くなど緊張感に覆われていたが、ともあれ事なくお開きとなったようだ。ほんとうにテロがなくてよかった、警備関係の人たちが肩の荷を降ろしていることだろう。私はカナダの首相が、ピエール・トルドー元首相の息子さんと知ってびっくりした。一世代進んだのだなあという感慨が深い。
オバマ大統領は、この会議の後に広島を訪れた。彼の演説は、終始静かな口調だった。
この演説の草稿を書いたのは、ベン・ローズ大統領副補佐官(国家安全保障問題担当・38歳)と言われる。その原稿は関係省庁などの目を経て再稿が書かれ、これにオバマ氏が手を入れたという。
これは太古の人類から未来の人類へ貫く、壮大な叙事詩だった。よくまあ、これだけの短いスピーチで大きな物語を語ったことだろう、驚愕した。
冒頭の「死が空から降りて、世界が変わった」という表現は、多くの人の心にひっかかり、降ってきたんじゃない、落としたんじゃないか、という反発が聞かれた。しかし、直後に続く言葉、「人類が自らを破滅させる手段を手にした事を示した」という大きな視野が、これから始まる演説の扉を指し示し開いてみせたのだ。言い訳として、空から降ってきたんだ、僕たちがやったんじゃないんだというレベルの意識ではないと伝えていることがわかる、見事な出だしだ。
この演説の中には、深い悲しみと慚愧の念、太古から連綿と続く不条理。心の支えであるはずの宗教が抱える矛盾。この部分は、欧米諸国のみならず、世界の多くの国々が肌で感じる大切な部分であるが、日本人のほとんどは聞き過ごし、見過ごし、感ずるものがないのではないかとは、思ったが、最も重要な要素の一つで、外すことは出来ないだろう。
私は、終盤に示された「私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません」(Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them.)
という部分に注目した。そう、恐怖なのだと改めて思う。攻撃の奥底に居座っているのは恐怖だ。そしてここから解脱するのは勇気を持つことなのだ。今年のキーワードである勇気に出会った、まだ5月だ、もっと勇気と出会うだろう。