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壺猫

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歴史を学ぶ

私は、石原慎太郎が嫌いで、ダイッ嫌いだ。何が嫌いと言って、彼の女性に関する発言のすべてが唾棄すべき暴言である故である。けれども、今回の大事件、二人の日本人がISISに殺されるに至った何日かにわたる緊張の経過の中で、石原慎太郎の一文が産経新聞(2105.1.23)に出た。タイトルは「イスラムテロに絡む歴史の背景」。主張するところの土台は、中世期以後の歴史の本流が、キリスト教圏の白人による、有色人種の土地の一方的な植民地化と収奪による白人の繁栄だった、という点にある。歴史を見よ、と言う。私は、これに大賛成だ。あのゴロツキ共が述べたてたなかに十字軍という一語がある。見過ごしてはならないことだ。歴史は、現在を如何に生きるべきかを学ぶためにある。二次元ではなく三次元四次元の座標軸の中に日本という国を置いて眺めてみたい。
そうすれば、今回、いよいよ川向こうの火事ではなくなった、日本だってテロにやられる可能性が出てきた、なんて騒がなくて済むのだ。これは慎太郎が言ったのではない、私が言っていることです。慎太郎は、続けてアメリカを罵倒し、村山談話くそ喰らえ的なことを書いている。この部分も、決して無視すべき内容ではなく、むしろ村山談話は、歴史を土台に置かずに発言した皮相的な舌先、と見る故に、村山談話に限って慎太郎を支持しますが、それはさておきです。
イスラムに対して日本は、決してキリスト教圏の国と組んではいけなかった。一本立ちの姿を見せるべきだった。日本は、キリスト教国でもなく、イスラム教でもありません、と表明すべきだった。地球上でただひとつの神道の国です、という立ち位置を示すべきだった。殺されて悲しみ、怒るのは、相手が望む反応を与えているに過ぎない。許さない、なんて言うべきではなかった。相手の思う壺にはまっただけだ、と壷猫が嗤う。
殺されないように努力の限りを尽くし、それでも殺されてしまったならば、内々で如何に嘆き苦しもうと、相手には平然とし、昂然と頭をあげているだろう、私だったら。で、言いたい。
「お前らが、お前らの土地で流した日本人の血は、実はいま、その一滴一滴が生きているのだ。お前らの地に染み入り、天の太陽と合体し、お前らに、これから報復を始めるだろう。日本は神道の国だ。日本人は、世界中の誰であれ、同じようにつきあってゆくつもりだ。しかし。お前らによって殺された無垢なる日本人の血は、太陽の力を受け、お前らの地に染み入り、神道の力を持って永遠に報復を続けるだろう」。
さあ、日本の首相は何を言うか、と世界中が聞き耳を立てている、視聴率からいったらダイヤモンドタイムであった。日本の姿勢のみならず、首相個人の人格も、人間性も表現できたはずだ。どうして、あれほど無にしたのかしら。
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