文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

床の間の掛軸

 先日、黒田記念館で黒田清輝の絵を観てきた。この記念館は、黒田清輝の「遺産で美術館を建ててくれ」という遺言にしたがい、岡田信一郎が設計した建築である。岡田信一郎は、大正昭和初期に活躍し、様式の天才と呼ばれた建築家である。
 設計作品に、北海道小樽の金融資料館(元日本銀行小樽支店)・歌舞伎座・鳩山邸などがある。黒田記念館に来たかったのは、絵のほかに建物が目当てだった。半地下のある二階建てで、左右対称の美しい外観、階段を上がり扉を入ると、一方の階段は地下へ、一方は一階へと導かれる。建物の内部は古びてはいるが、深々と息をつきたくなる穏やかな空間が広がる。
 高村光太郎作の黒田清輝の胸像が置かれ、多数の作品とデッサン、スケッチ帖などの展示がある広い部屋、もう一部屋が、お目当ての室で、ここに代表作が飾られてあった。暗い矩形の部屋の壁面には、一面に、ただひとつ「湖畔」が、もう一面には「智・感・情」の組作品のみが置かれていた。こういうかたちで観てみたかったのだ。
 尊敬してやまない大画家・吉留 要氏から直に伺ったことだが、絵を鑑賞する際、観る絵の周囲に他の作品がない、これが理想だと。しかし大きな企画展や、常設展にしても、そんな見方は望むべくもない。必ず隣に並んでいる。凄いのになると上下左右、満員電車的展示である。
「智・感・情」。これは等身大女性の裸体画で、顔は日本人だが、身体は理想化されたかたちであると言われる。代表作の「湖畔」と並ぶ有名な作品で、奥に哲学思想を含むとして論議されることもあると聞いている。私は、このなかの「感」が大好きだ。よいなあ、贅沢だなあ、とため息をつきながら壁一面に一作、を味わった。
 上野公園では何本か桜が三分咲きで、珍しがってカメラを向ける人があちこちにいた。書き忘れたが黒田記念館は芸大の向かいにある。せっかく上野に来たのだから、企画展「兵馬俑」を見物していこうと博物館へと歩きながら、いま観賞してきた絵を味わった。
 一面一作の絵画は、床の間の掛軸ではないかと、ふと思い至った。床の間の書画を拝見するときに、どうして他の書画が目に入るだろう、存在しないのだ。なんという贅沢、なんという見事さだろう。あらためて日本の美意識に思い至った。
 美術館で屏風を展示する場合、平面にして展示している。自ら立つようにと曲げて立たせていない。一枚の絵のように展示しているではないか。本来、和室で使用する際は、ジグザグに折り曲げて立たせていたのだ。それを坐って眺めたのだ。屏風絵を、本来の使用形態にして鑑賞したら、画家が意図したところを受け取ることができるのではないか。襖絵も同様だ。部屋の角に位置する襖絵は、角を意識して描かれたに違いない。屏風絵はジグザグに置いたとき、二次元から三次元へ移行するだろう。あれは正面から見る絵ではないのでは?
 寒中、手袋も要らぬ風のない日に、上野公園を池之端へと歩きながら、あれこれと世迷い事を思い巡らせた。
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