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壺猫

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白内障

年明けに白内障の手術を予定している知人が二人もいる。去年は、やはり二人いた。
揃って60歳以上の方々で、欧米のように早期に手術に踏み切る人は少ない。
夫の伯母が白内障の手術を受けたのは、やはり相当高齢になってからだったが、これは50何年も前のことだった。その時伯母はもちろん入院したのだが、術後の3週間を上を向いて寝たきり状態で過ごした。
トイレに行けない、上体を起こして食べることもできない、想像を絶する固定状態。私に言わせればミイラスタイルの3週間だった。
退院した伯母は涙を流した。随喜の涙であった。見えるようになった嬉しさのせいか、ずいぶん素直になったように感じたものだ。

他人事と感じていた白内障が我が身のこととなった時、時代は進んでいて15分足らずの手術時間、1日の入院、あとは通院で視力を回復してもらったのだ。今はどうだろうか。
通院環境にもよるが、日帰りも可能なほど負担が軽くなり、まるで常識であるかのように、この微細な高度の技術を必要とする治療が普及してきた。
一昔前に伯母が手術に踏み切った頃までは、諦めるしかなかったのだ。視覚障害者となって耐えるしかなかった。この有難さは表現できるものではない。
水晶体の中、液体に微細な粒がたくさん浮遊して、これが邪魔をして見えなくなるので、眼鏡による補正が効かない。朝日に向かったら、視界は輝くすりガラスだ。テレビに出る大写しの顔の目鼻が見えない。目と口の位置がなんとなくわかる。

近く手術をする方に、お風呂に入っている時には見えました、と手紙を出したら、なんと同じだった。お風呂に入っている時は、少し見えるそうだ。面白い現象。水蒸気の作用かしら。
近く手術を予定される方々に伝えたいことがある。それは、濁った水晶体を除去して人工的な内容に置き換わることにより得られるものは、視力の回復だけではない、ということを強く伝えたいのだ。
病院で丁寧な説明を受けた内容の受け売りだけれど、生まれたての赤ちゃんの水晶体は、それはもう澄み切っていて美しいものなのだそうだ。年月を重ねるにつれて、自分の手の甲の色と同じくらいの色に濁ってゆくのだそうだ。よく見えていても無色透明な水晶体ではないのだそうだ。
手術によって、生まれたての赤ちゃんレベルになる、だから世の中が鮮やかに、あるべき色合いに映るのだそうだ。
治ることで、テレビの目鼻が見えるだけではない、空の青とは、こういう色だったんだ、椿の葉の色は、こういう緑だったんだ。
見るものの鮮やかさ、新鮮さに感動する日々が待っています。

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