文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

元号は天皇のもの

結論から言うと、元号の存在は結構だが、日本国民の暮らしから切り離して、天皇所有のものとしてもらいたい、ということだ。
国民に使用を強要する、法制化することも止めてほしいということだ。
今回、次の天皇のための元号が決められた。思案し決定するのは、来月から天皇になる予定の皇太子殿下本人ではないどころか関与もしていないらしい。
選ばれた選者たちが、いかに心込めたとしても名を冠する本人と関わりのない他人である。押し付けられた名を否応なしに一生用い、死んでのちまでも、この名で呼ばれることになる。
大昔の元号は、もっとのびのびしていたのではないかしら。
秩父の山中に銅の鉱脈を見つけた。これで銅銭を鋳造できるわ、めでたいわ、元号を和銅に替えましょうよ。
と喜んで「慶雲」だった元号を「和銅」に取り替えたのは、女帝、元明天皇だった。西暦708年のことだ。このころは女性天皇もいたし、元号も気軽に取り替えた。なんか自由で楽しい感じが伝わってくる。
(ほら、ご覧なさい。和銅元年と言われても、いつのことやら判かりません。西暦に変換して納得するわけでしょう?)
今は、がんじがらめだ。今の天皇一家は自分自身のことも自分たちで決めてはいけないらしい。内々のことを夫婦親子だけで決めるわけにはいかないみたいだ。
思いつきを勝手に喋ることも問題らしい。挨拶以上の内容を喋ると大騒ぎになる。おまけに関係のない他人が寄ってたかって口を挟む。
天皇家という表現を目にすることがあるが、これでは家庭とは言えない。悲惨な晒し者だ。
朕は神ではない、と昭和天皇が人間宣言したのは事実だが、今現在の有り様は、どうだろう? 人間扱いされていない。人間扱いをしないのは、どこの誰だろう? ひどすぎる。
いったい誰に天皇とその一族の人権を蹂躙する権利があるのか。今現在のような振る舞いは、法律がどうであれ、人間同士として許されてよいものかどうか。
家庭内の事情・心情まで暴露、あるいは誤暴露され続けるありさまは、気の毒で見ていられない。これでは身の置き所もないではないか。だいいち神経が保てない。
わけのわからん「象徴」という冠を外して、慕いたい人から慕われ、愛され、親しまれつつ、穏やかに安全に過ごしていただきたい。願わくは、世界有数の長く深い伝統を大切にしていただきたい。
一方、伝統は伝統、国民の実生活は現実の暮らしだ、元号を公に用いることはやめてほしい。というか廃止すべきだ。
天皇の治世ではないのだ、国民を巻き込まないでくれ。戸籍をはじめ、公的書類から解放されるべきだ。あまりにも馬鹿げている。
日本は特別だ、元号は国民に必要だと言い張るのであれば、徹底したらどうかしら。度量衡も元に戻したらいかが。一升升で米を測り、道を訊かれたら、一丁ほど先ですよ、とやったらよい。
天皇に関する様々な感情も決まりごとも、希望する者たちの中に守られて続きますようにと強く願う。
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