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壺猫

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靖国神社

安倍総理大臣は、自分が総理大臣になった日を記念して、誕生日祝いのつもりなのだろう、去年のこの日に総理になりました、と前説をして、公の形を取って靖国神社を参拝した。あちこちから批判された時点で、戦争しない誓いを云々と後付けしたが、最初に誕生日祝いなんだ、と言ってしまっているのだから噴飯物だ。文字が読めなかったり、できあいの言葉しか操ることが出来ない安倍総理大臣の様子を観察して思うのだが、この人は貧乏だ。人間が貧だ、と思う。さらに感情を先に立てて行動する。これは小人である。自分では経済を上向きにして、経済優先の政策だと見せているつもりだろうが、実は憲法改正、国防軍を作る、というところに狙いを定めている。これも個人感情であり、日本という国の将来を見通し、熟慮を重ねた上での政策ではない。これも見破られていることに気づいているのだろうか。
それはさておき靖国神社は、日本の軍人、軍属などを祀っている勅祭社で、はじめは東京招魂社という名だったのが、靖国神社と変えられてしまった。さらに、A級戦犯の人たちも祀ってしまった。ずるずると変容してきているのではないか。幕末から明治維新以後の軍人が祀られているが、各人の墓所は別にある。魂だけを祀っている。私は、中国や韓国が容嘴するのは無礼と思うが、心穏やかではいられない心情はわかる。
私は、こんな社を作らなければよかったのに、と思っている。明治維新を立派なことと称揚する歴史観を批判したくなる、あのころの人たちは、バカなこともたくさんした。この社もそのひとつで、バカなヤツが思いついたのだろう。何をもってバカというか、というと、人がいじってはいけない物に手を出したからバカだと思っている。日本の社は、縁起を持ってはいても、煙が集まり、無から有がかもし出される気配で産まれたのだ。だからご神体が山だったり、大木だったり、石ひとつ、巌ひとつだったりする。農耕の人々が、稔りを祈り、死者を悼む、必死の暮らしの心の拠り所として社が生きている。現世に生きている誰彼の頭から出た、単なる思いつきで、ここに魂を招きましょう、と作るものであってはならないのだ、と私は考えている。つまり、人為的にしてはいけない世界なのだ。そこに手を出してしまい、結果として、拝め、拝めと拝まされたのが私の世代である。拝む、祈るが重なると、そこに霊魂が集まる。こうして一片のお骨もない靖国に、人の気が集まってしまっているのが現状なんだろう。もともとが、お上が拝めと命令する社として作ったのだから、政治的な色合いが濃い、どころか政治的な社といえる。だから政治家たちが、あーだ、こーだ、と言いながら参拝したがるのだ。いま活動している政治家たちの親族の、どれほどが靖国に祀られているのだろう? ほとんどの戦死者は、農村、山村、漁村の若者ではないか? 私は怒り噴出である。日本の神様は、さっぱりしている性質だから、ここで各人、各墓所にお戻り頂きたい、と大祭礼を催し、お開きにしたらよい。これが私の主張です。
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