文房 夢類
文房 夢類
myExtraContent1
myExtraContent5

壺猫

文房 夢類

パラリンピックを見つめる

リオデジャネイロでオリンピックに続き、パラリンピックが開催されている。私は、見つめる。
こうして大活躍する選手たちは、障害者の中の、ほんの少しのエリートだろう、と思いながら見る。
選手たちは、明るい、強い、勢いのある空気を身にまとい、存分に競技をする。
放映される笑顔を見つめながら、今、ここに華々しくいるけれど、生まれながらに背負う障害の重み、あるいは突然、障害を抱える状況になった瞬間の衝撃と絶望の日々、この深淵から瞳をあげて笑顔が生まれるまでの長い日々を選手たちの土台に見る。称賛の気持ちが湧き、その周りに、数多の専門家集団が、身の回りにどれほど多くの助っ人がいることだろうと、称賛の気持ちが高まる。
翻って思うのだけれど、健常者という、この言い方ほど顔を背けたくなる表現はない。一見、元気な人たちだって、完全無欠はない。何かしら傷がある、困った部分を抱えている、傍目には見えない、見せない弱い部分を持っている。
このことを思うと、種類分け、区分けをして、別の箱に収めておくような存在ではないのではないか、障害者も健常者も。ただ、支援が必要か否かと見極めたところで、できる側が手をかすのが自然で、だから、ほんとうは区別なんかないのだ。だいたい想像するまでもなかろう、加齢により万人が不自由になるのです。
myExtraContent7
myExtraContent8