文房 夢類
文房 夢類
myExtraContent1
myExtraContent5

壺猫

文房 夢類

社説とコラム

新聞には社説とコラムがある。朝日新聞なら天声人語、読売新聞は編集手帳、よみうり寸評、毎日新聞は余録をはじめ、膨大な数のコラムを擁する。東京新聞は筆洗。日本経済新聞は春秋。ここに、社の見識と人で言えば人格が現れる。この中の王者が朝日新聞の天声人語で、朝日新聞は、自ら書いている、「大学入試問題に非常に多くつかわれる天声人語。読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます」。
天下の朝日と言われてきた朝日新聞の天声人語は、お手本だった。が、だいぶ前からおかしくなっている。いま、これを手本としていたらどうなることか。いまごろ言うか、と笑う声が聞こえるが、表だって誰も言わないことである。
力を抜いてきているのなら話は簡単だが、そうではない。まじめに書いているのは分かるのだ、一般読者のみならず、社内でも当然読んでいるだろうに、この「おかしさ」に気づくことがない。ここでいう「おかしさ」とは、面白い、笑いたくなる面白さではない。冷蔵庫から、おかずのパックを出して、お勝手にいる誰かの鼻先に持って行って訊ねる、これ、おかしくない? そういうおかしさ、である。おかしいよ。捨てたら? うん。ダメだね。と続く会話。腐ったら、鯛でもダメなのだ。腐敗は、内部、深部から発生し、崩壊するしかない。
私の鼻がどうかしているのかしら? 捨てた方がいいよ、と感じているのだが。これは社会の問題としないで、文学のジャンルに入れよう。
ついでに言うと、読売新聞は、あのとおりだが、意見の方向はそれとして健康体だ。いま一番魅力的で、溌溂として勢いがあるのが東京新聞だ。
myExtraContent7
myExtraContent8