文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

心と繋がっている言葉

もう一度、池袋の母娘殺人車のことを言いたい。
お弔いをした夫であり3歳の娘の父でもある人が、うなじを垂れたきりの姿で語った。
それは、家族3人が当然持っているものと思い込んでいた未来が断ち切られた、まさに絶望の心を、訥々と言葉に絞り出したものだった。
どのメディアも反芻し、再現、再放映を繰り返す。力を込めて叫んだ言葉ではない、ようやくの思いで振り絞った言葉だった。これを受けとめて心揺さぶられる人々で日本が溢れていることもわかった。
先日の、元野球選手の清原さんの言葉も同じだった、頭で考えて作った言葉ではないのだ、心と繋がっている、技巧も作為もない、ハートそのものの言葉だ。
この哀れすぎる悲劇が、運転免許を返納する決心へと繋がってくれることを願っている。
市街地に住む高齢者に強く訴えたい。免許返納こそが、悲嘆にくれる父への弔辞であり、命を落とした母娘へ捧げる一茎の花となろう。

一方、加害者である高齢の男は入院中とのことだが、意識不明ではなさそうだ。一生を一所懸命に生きてきた最後のキワに、取り返しもつかぬ殺人行為をしてしまったことを、どれほどの思いで受け止めていることか。
なぜ、沈黙するのか? なぜ、言葉を発しないのか?
まさか、何も思わない、感じてもいないということもあるまい。
事故発生直後に息子に連絡をして、できる限りの防衛対処をしてのけているという。共謀である息子も沈黙しているが、おそらく弁護士をつけて万全の備えをしているのではないか。
過失であれ人殺しである。3歳の幼女は、行く手の人生を断ち切られた、この男は、過去を失ったとも言えるのだ。
ここで不用意な発言をすることが不利益につながると計算するような未練の男であるか。
赤裸の心を、なりふり構わず吐露することが、せめてもの人生終末期の態度ではないだろうか。憎悪心を持ち、狙い殺したのではないのだから。
この男こそが、同時代、同年輩の人々に向かい、免許返納のお願いの言葉を発するべきなのではないだろうか。
たぶん無言を貫いてメディアから逃れようと図るだろうこの男と息子に災いあれ。

自動車運転免許について。全国全員の高齢者が免許を返納することは、決して現実的ではないということを付け加えて言いたい。
電車、地下鉄、モノレール。駅前タクシー、流しのタクシー、高速バス、路線バス。
こういうものに囲まれた地域で生活している人は、日常生活で自家用車を運転しなくても、不自由なく暮らせる。車椅子を使う人でも単独行動が可能なこともある。
しかし日本は市街地だけではない、モノレールも地下鉄もないし、バスだって1時間1便のところがたくさん、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県などにも、いくらでもあるのが現実。
運転を諦めて、30分ごとに来るバスを待つことは大きなストレスだし、体力も持たないから荷物が持てない。そのバス停まで、どれほどの距離を歩いてくるのか、途中で腰を下ろして一息入れる石段も決めている。
1時間1本のバスに乗るために1時間歩く。このような地域は広いけれど人口が少ないので声が小さい。
運転を止めた後の受け皿なしに、やめろやめろと強要するのは、単細胞で無慈悲な態度だと思う。
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