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壺猫

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夫婦別姓問題

2015年12月16日に「夫婦別姓禁止が合憲か否か」の問題で最高裁の判決がでました。これは国民全部が別姓にしようというのではなく、どちらか選ぶことができるようにしよう、というものです。この問題は、2009年に民主党が公約の一つとして掲げたときから、私は近代化の一歩として期待していました。個人個人の不具合、不自由を主張して変えて欲しいと言う問題ではない、個人を離れて、根本的に個人を尊重するあり方として、ナンセンス、あってはならない、噴飯物の束縛だと考える故です。
判決は、夫婦同姓規定は合憲であるというものでした。
今回の裁判で原告が主張する内容の趣旨は、個人の不自由、不具合の解消を訴える物だったように受け取っていました。ここが私の意見と相反する点です。判決が合憲と出たから、けしからん裁判長だ、あるいは15名中、10名が合憲としたのだから、合憲は正しいのだ、という、賛否両方の意見の人たちがいますが、私の受け取りかたは、裁判で決める問題ではない、訴えの内容に関しては、こういう結論ですよ、という意味ではないかと感じました。訴えの内容のレベルが低かったのです。
今回の裁判で、裁判長が言った言葉、このことは国会で議論して欲しい、ということが、この裁判の一番の眼目であったと思います。ここで違憲ときめつけることが、もしかしてできたかもしれない、しかし、それよりも、国民の心からの意志を尊重しましょう、と、この裁判は言ったように感じています。結果には不満ですが、ここは、もう一息頑張って、深く考えを進めるべきだと、私は思います。
カール・ヤスパースが口を酸っぱくして繰り返し述べていることですが、自説を声高に言いつのるより先に、反対意見を十分に聞く姿勢を保つこと。これがいま、必要とされていると思います。
夫婦別姓を望む意見の人は、夫婦同姓にすることに反対していません。好きな方を選べるようにしましょう、と主張しています。
これに対して、夫婦別姓反対を主張する人は、選ぶことも禁止だ、なにがなんでも同姓にすべきだという意見です。この、不可解な「束縛」を主張する理由を、私は鵜の目鷹の目で探しましたが、なるほど、そういう理由があったのですね、という意見に出会ったことがありません。家族の絆、美しい伝統、そんな言葉がちりばめられてのちに、だめだ、の結論です。思考停止で変化を嫌っている、代々に渡り洗脳されきった自己喪失状態としか思えません。
一方、政権与党は合憲の判決に大満足です。もしも別姓を容認したら、少子化に歯止めがかからない、と危惧するのだという意見もありました。マイナンバー導入まで漕ぎつけたいま、ますます一億総まとめにして、一つ網に押し込めたいときに、選択制であれ、別姓は好ましくない、まとまりをなくすものという認識なのでしょう。このさき、自衛隊員の増強、徴兵制へと進めてゆくに違いありませんからね。現に関連学校が募集人員を増やしているではありませんか。

私は、すっかり立腹して、バカなイワシはまとめて網にかかり、肥やしにされてしまえ! と罵倒しています。
私が怒り心頭、ハンパなく怒っているのは、裁判官ではない、アベもどうでもよろしい、いまの政権が消えても、第二アベが出るだけですから。一人一人の日本国民が、あまりにも自分の目で物事を見ない、自分の頭をつかって考えない、スマホ握りしめて、口当たりの良い食物に群がることしか念頭にない。この、救いようもないイワシ的日本国民に対して絶望的に怒っているというわけです。
続きます。


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