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壺猫

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死の部屋

承前
人を殺す人がいる、あらゆる時代のあらゆる社会で、無慮無数の動機で人を殺す人がいる。
殺された者の何増倍の者たちが、その死を悼み悲しみ怒り続け、殺した者に対して復讐心を抱き厳罰を望む。
ひとりの犯人を何万回殺しても、その罪は贖えぬと悶え苦しむ者を思いやる。死刑に処すことをする社会もあり、止めた国もある。
日本ではどうしたものかという論議がしばしばなされるが、万人の心を落ち着かせる姿を誰も描くことができていないのではないか。
死刑廃止論者の意見に私は、一も二もなく同意する自分を見ているが、愛する者を殺されて苦しんでいる人たちを、廃止論者がどのように救おうとするのかは、聞いたことがないし、読んだこともない。まるで被害者側は放り出されて忘れ去られる運命を甘受しなければならないとでもいうような感じを受ける。これでは廃止論者の意見が通用するはずがないと思う。
一方、手段はどうであれ、人が人を殺す行為が行われるのが死刑という刑罰だ。任務であれ、人に、このような苛酷な負担をかけてよいものだろうか、問うまでもなく悪いに決まっている。
私は宙に描いてみるのだ、刑罰として造られた死の部屋を。
それは人が作った部屋ではなく自然の洞穴だ。できることなら地球上に一つあればよい。
その洞穴には自らの意思と足で歩み入るしかない。
いかな大悪人といえども、嫌だという者は入る必要はない。では犯人は許されるのか。
とんでもないことだ、死を悼む者たちから無期限に監視され続ける環境に生きて社会奉仕を続ける。許されるのは、苦しむ者たちから、もういい、十分贖ったという声が聞こえた時だ。
私は、誰も入ったことのない死の洞穴を持つ社会にしたい、そして大罪を犯した者、被害者周辺の苦しみ続ける人々、その両方が癒されて浄化される社会を白昼夢として思い浮かべる。
付記
それにしても!
戦争を企てる政治家こそ、万死に値すると思いませんか。
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