消費税
2019-09-25 09:39
真夏の時期から、消費税が上がると大騒ぎをして、9月はコレでもちきりみたいだ。店内で食べたら何%で、持ち帰ったらどうとやらと大騒ぎをして見せている。
誰が、何のために騒いで見せているのか。誰が、誰と結託して騒いで見せているのか。
見せられる側は何回見ても、ややこしくて何が何やらさっぱりわからない。
一番わからない点は、消費税により増税した分のお金を、例えば福祉に充当します、などという、充当の内訳がわからない。
今までA円が福祉関係に当てられたとしよう。増税分をB円とすると、A+B円になるのだろうか。それなら潤うことでしょう。
しかし、国の予算全体の中にB円を入れて、福祉関係の予算には他を勘案した数字を入れるとなると、単なる一般増税と変わりがないことになるのでは?
この辺りの詳しいことがさっぱりわからない。透明感がない。ごまかされているような気がしてならない。
金銭授受疑惑後、睡眠障害と称して雲隠れし、話題に上らなくなった頃に役職に就いて活躍している政治家もいるし、例の森加計問題は、ごまかされたままだ。
何でもごまかすから、消費税の使い道は最初から信用していない。
ところで消費税そのものに反対なので、対策を考えている。消費しないという道はいかが。「買わない」という選択。
最近増えているのが「新しく服を買わない」主義。あら、私もよ、と言い交わしている。
若い人には無理なことだが、高齢になれば在庫は豊富。断捨離なんてもったいないことを考えずに使いこなせば良い。買わなければ0%です。
高齢者は、この先どんどん増えるから、買わない方針の人も増えるでしょう。
誰が、何のために騒いで見せているのか。誰が、誰と結託して騒いで見せているのか。
見せられる側は何回見ても、ややこしくて何が何やらさっぱりわからない。
一番わからない点は、消費税により増税した分のお金を、例えば福祉に充当します、などという、充当の内訳がわからない。
今までA円が福祉関係に当てられたとしよう。増税分をB円とすると、A+B円になるのだろうか。それなら潤うことでしょう。
しかし、国の予算全体の中にB円を入れて、福祉関係の予算には他を勘案した数字を入れるとなると、単なる一般増税と変わりがないことになるのでは?
この辺りの詳しいことがさっぱりわからない。透明感がない。ごまかされているような気がしてならない。
金銭授受疑惑後、睡眠障害と称して雲隠れし、話題に上らなくなった頃に役職に就いて活躍している政治家もいるし、例の森加計問題は、ごまかされたままだ。
何でもごまかすから、消費税の使い道は最初から信用していない。
ところで消費税そのものに反対なので、対策を考えている。消費しないという道はいかが。「買わない」という選択。
最近増えているのが「新しく服を買わない」主義。あら、私もよ、と言い交わしている。
若い人には無理なことだが、高齢になれば在庫は豊富。断捨離なんてもったいないことを考えずに使いこなせば良い。買わなければ0%です。
高齢者は、この先どんどん増えるから、買わない方針の人も増えるでしょう。
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増えたコウモリ
2019-09-22 20:50
朝立ち、夕立ち。雨が降るわけではない、朝夕、猫の富士を散歩に連れ出して立ちん坊をしている。
これが犬だったら、跳び跳ねるような気持ちが溢れて笑顔いっぱい、先に立って歩く。千早はどこまでも歩いた。
ところがお富士さんは違う。ガレージで正座し、やがて横になり伸びをし、道の真ん中に進み出た、と思うとまた正座。
そこへマルオが現れる、マルオも同様の佇まいである。動かない。
こうして15分、30分を過ごす。猫散歩というよりも猫立ち。朝立って夕方また立ちん坊。
風が吹く雲が行く。虫が飛ぶ鳥も飛ぶ。時に車が通り人が行き来する。それを網戸越しではない、身近に感じながら座る。
歩いたら私の運動になるのにと思いながら立っているが、姿勢を整えて立つことも座禅か、と気づいてからは立つ時間を大切にするようになった。
薄暮の道際に立っていたら、コウモリが頭の上に来た。鳥の飛び方と違って、こまめに方向転換を繰り返すのですぐわかる。
たった1匹いたのが死んでしまい、もう二度と現れないだろうと悲しがっていたコウモリだ。わ、わっ! 3匹も飛んでいる。
よかったなあ! 市民農園の上を飛び回って餌をとり、我が家の近くに来て寝る。
あまりにも嬉しかったので、この人なら追いかけまわさないだろうという人を選んで知らせた。びっくり。そして笑顔になってくれた。
これが犬だったら、跳び跳ねるような気持ちが溢れて笑顔いっぱい、先に立って歩く。千早はどこまでも歩いた。
ところがお富士さんは違う。ガレージで正座し、やがて横になり伸びをし、道の真ん中に進み出た、と思うとまた正座。
そこへマルオが現れる、マルオも同様の佇まいである。動かない。
こうして15分、30分を過ごす。猫散歩というよりも猫立ち。朝立って夕方また立ちん坊。
風が吹く雲が行く。虫が飛ぶ鳥も飛ぶ。時に車が通り人が行き来する。それを網戸越しではない、身近に感じながら座る。
歩いたら私の運動になるのにと思いながら立っているが、姿勢を整えて立つことも座禅か、と気づいてからは立つ時間を大切にするようになった。
薄暮の道際に立っていたら、コウモリが頭の上に来た。鳥の飛び方と違って、こまめに方向転換を繰り返すのですぐわかる。
たった1匹いたのが死んでしまい、もう二度と現れないだろうと悲しがっていたコウモリだ。わ、わっ! 3匹も飛んでいる。
よかったなあ! 市民農園の上を飛び回って餌をとり、我が家の近くに来て寝る。
あまりにも嬉しかったので、この人なら追いかけまわさないだろうという人を選んで知らせた。びっくり。そして笑顔になってくれた。
内なる治癒力
2019-09-21 07:57
『内なる治癒力』とは、本の題名。1990年創元社発行のTHE HEALER WITHIN の訳本で、著者はハーバード大学の精神科の先生たち。
体というものは自発的に治ろうとするのだなあ、ということを書こうとして突然、思い出した本の名だった。この本の内容は忘れきっている。読んだには違いない。
不経済にもほどがあるというもので、せっかく読んだ内容を忘れてしまう。ま、食べ物だって大半は放出してしまうのだから理にかなっているのだろう、気にしない、気にしない。
30年も昔の本を思い出したきっかけは、医者にかからず治癒した事例が二つ重なったことだった。
ひとつは、当ブログにも書いたことだが、9月の初めに庭で転び、膝を痛めた予後のことだ。しゃがめない、足を引きずって歩く。そんな日々が続いていた。
なるべく使わないようにして、でも少しは使って暮らすうちに、次第に2、3キロ歩いても平気になってきた。やがて、この2、3日は膝をついて雑巾がけができるようになった。
あらら、治っちゃった、と思った。
もう一つはマルオの皮膚病が治ったことだ。
外猫のマルオは下腹全体が丸裸、赤裸。つまり何かの故障で毛が生えない。暇さえあればお腹を舐めている。気づいてから4年くらいになるが、この夏に突然、一気に快癒。
純白のおなか。こんなに綺麗だったのか、と驚くほど綺麗な毛並みに目を見張った。
薬をつけてやったわけでもない、何もしなかった。もちろん病院とは無縁であった。
ただ、毎朝、毎日、毎夕、声をかけて触ってやり、十分に食べさせ、寝場所を確保してやり、ブラシングを続けてきた。ブラッシングは、衣食住の衣の部分だろうか。
マルオの場合は、自分の内側から治癒力を立ち上げたんだと思う。
私の場合は、無理に使わないようにした、というだけのことだったが、膝の気持ちになったことで膝が治る気になったのだろう。
体というものは自発的に治ろうとするのだなあ、ということを書こうとして突然、思い出した本の名だった。この本の内容は忘れきっている。読んだには違いない。
不経済にもほどがあるというもので、せっかく読んだ内容を忘れてしまう。ま、食べ物だって大半は放出してしまうのだから理にかなっているのだろう、気にしない、気にしない。
30年も昔の本を思い出したきっかけは、医者にかからず治癒した事例が二つ重なったことだった。
ひとつは、当ブログにも書いたことだが、9月の初めに庭で転び、膝を痛めた予後のことだ。しゃがめない、足を引きずって歩く。そんな日々が続いていた。
なるべく使わないようにして、でも少しは使って暮らすうちに、次第に2、3キロ歩いても平気になってきた。やがて、この2、3日は膝をついて雑巾がけができるようになった。
あらら、治っちゃった、と思った。
もう一つはマルオの皮膚病が治ったことだ。
外猫のマルオは下腹全体が丸裸、赤裸。つまり何かの故障で毛が生えない。暇さえあればお腹を舐めている。気づいてから4年くらいになるが、この夏に突然、一気に快癒。
純白のおなか。こんなに綺麗だったのか、と驚くほど綺麗な毛並みに目を見張った。
薬をつけてやったわけでもない、何もしなかった。もちろん病院とは無縁であった。
ただ、毎朝、毎日、毎夕、声をかけて触ってやり、十分に食べさせ、寝場所を確保してやり、ブラシングを続けてきた。ブラッシングは、衣食住の衣の部分だろうか。
マルオの場合は、自分の内側から治癒力を立ち上げたんだと思う。
私の場合は、無理に使わないようにした、というだけのことだったが、膝の気持ちになったことで膝が治る気になったのだろう。
糸トンボ
2019-09-18 10:00
去年の秋、庭の隅に1匹の糸トンボをみつけた。イトトンボとは、体長が約30ミリ〜35ミリの小さなトンボだ。
このトンボが大好きで、庭に見つけた時は来年、産卵の時期に来て欲しいと祈る気持ちだった。
今月に入って台風の直前、ビオトープの水位を下げておこうと柄杓で水を掻い出していたとき、柄杓の中に初めて見る小虫をみつけた。
灰色の細い虫で、尻尾が3本ついている、全長7、8ミリ。これはイトトンボのヤゴ。初めて目にした虫だったが、目に入った瞬間にコレだ、と判った。
先月、図書館から借りて読んだトンボの本のおかげだった。なんと傍のブロック塀に、美しいアオイトトンボが止まっている。
たくさん育ちますように。薄緑の水を柄杓にすくっては、何も生き物がいない、と確かめてからマスに流す。時間も手間も半端でなくかかるが、これも楽しみの枠内だ。
ビオトープで自然を、と始めたが、実態は手間暇をかけ続けている有様だ。
このトンボが大好きで、庭に見つけた時は来年、産卵の時期に来て欲しいと祈る気持ちだった。
今月に入って台風の直前、ビオトープの水位を下げておこうと柄杓で水を掻い出していたとき、柄杓の中に初めて見る小虫をみつけた。
灰色の細い虫で、尻尾が3本ついている、全長7、8ミリ。これはイトトンボのヤゴ。初めて目にした虫だったが、目に入った瞬間にコレだ、と判った。
先月、図書館から借りて読んだトンボの本のおかげだった。なんと傍のブロック塀に、美しいアオイトトンボが止まっている。
たくさん育ちますように。薄緑の水を柄杓にすくっては、何も生き物がいない、と確かめてからマスに流す。時間も手間も半端でなくかかるが、これも楽しみの枠内だ。
ビオトープで自然を、と始めたが、実態は手間暇をかけ続けている有様だ。
台風15号
2019-09-14 09:47
小型で強い台風が来る、という天気情報のもと、待ち受けた台風が去ってから今日で何日経ったことか。
当初、台風の目は東京・神奈川方面を見ていたが千葉を視野に捉えて房総半島を襲った。ことなく去るはずと思いこんでいたのは私だけではなく、報道方面も同様だったのではないか。
15号がとんでもない被害をもたらし続けていることにびっくりしたのは一昨日の夜だった。慌てて友達の住む地域の状況を把握し、深夜にアマゾン経由で救援品を送った。
宅配便はクール便は受け付けず、一般品のみ受けるが遅延するという。一昔前だったら車で飛んで行っていたのに、と地団駄を踏む。
なんと、今しがた携帯から当方の固定電話へ入ってきたともだちの声。一声聞いただけで、健康で意気盛んであると掴めた。
彼女は戸建て住宅に住んでおり、以前に住んでいた14階建てのマンションにいるともだちの救援をしているという。
充電に行かなければならない携帯だから、ここまででおしまいにしたが、同じ断水でも、高層ビルでは階段を上らなければならず、その苦労は並大抵ではないだろう。
手紙書くよ、と受話器を置いてから、しみじみと嬉しかった。
自分がうんと困ってるのに、もっと困っている仲間を助けようとしている、私のともだち、だ。
当初、台風の目は東京・神奈川方面を見ていたが千葉を視野に捉えて房総半島を襲った。ことなく去るはずと思いこんでいたのは私だけではなく、報道方面も同様だったのではないか。
15号がとんでもない被害をもたらし続けていることにびっくりしたのは一昨日の夜だった。慌てて友達の住む地域の状況を把握し、深夜にアマゾン経由で救援品を送った。
宅配便はクール便は受け付けず、一般品のみ受けるが遅延するという。一昔前だったら車で飛んで行っていたのに、と地団駄を踏む。
なんと、今しがた携帯から当方の固定電話へ入ってきたともだちの声。一声聞いただけで、健康で意気盛んであると掴めた。
彼女は戸建て住宅に住んでおり、以前に住んでいた14階建てのマンションにいるともだちの救援をしているという。
充電に行かなければならない携帯だから、ここまででおしまいにしたが、同じ断水でも、高層ビルでは階段を上らなければならず、その苦労は並大抵ではないだろう。
手紙書くよ、と受話器を置いてから、しみじみと嬉しかった。
自分がうんと困ってるのに、もっと困っている仲間を助けようとしている、私のともだち、だ。
朝の座禅
2019-09-06 09:50
東の空に向かい、戸外で座禅。
実際は座禅の真似事である。お寺の座禅で用いる長いお線香ではない、14.5cmの短いお線香が燃え尽きるまでの、ほんの40分足らず。
はじめは座っていたが、先月初めに転んで膝を痛めたために腰かけ座禅である。
椅子座禅という腰かけスタイルがお寺で取り入れられて久しい。この椅子座禅を真似して、庭先のコンテナに腰掛けている。
転んだのは夏の初め頃のことで、ビオトープで冬越しをしたヤゴたちが羽化してトンボになる、この変身劇が深夜から未明にかけて行われるために、抜足さし足で庭に出たときのことだった。
何かの弾みとか、押されたとかではない、寝ぼけていて倒れたのだからロクでもない話だ。
これを節目に腰掛け座禅にしたら楽で、膝の痛みが消えても止められなくなった。
発心してからまだ、100日足らずであるから続くかどうか、我がことながら信用できないが、今のところは1日として欠かしたことがないという驚きの夏だった。
太陽が顔をだす地点は100日の間に少しずつ南へ移動し続けて、今月の秋分の日に定点に来るはず。それを楽しみにしている。
実際は座禅の真似事である。お寺の座禅で用いる長いお線香ではない、14.5cmの短いお線香が燃え尽きるまでの、ほんの40分足らず。
はじめは座っていたが、先月初めに転んで膝を痛めたために腰かけ座禅である。
椅子座禅という腰かけスタイルがお寺で取り入れられて久しい。この椅子座禅を真似して、庭先のコンテナに腰掛けている。
転んだのは夏の初め頃のことで、ビオトープで冬越しをしたヤゴたちが羽化してトンボになる、この変身劇が深夜から未明にかけて行われるために、抜足さし足で庭に出たときのことだった。
何かの弾みとか、押されたとかではない、寝ぼけていて倒れたのだからロクでもない話だ。
これを節目に腰掛け座禅にしたら楽で、膝の痛みが消えても止められなくなった。
発心してからまだ、100日足らずであるから続くかどうか、我がことながら信用できないが、今のところは1日として欠かしたことがないという驚きの夏だった。
太陽が顔をだす地点は100日の間に少しずつ南へ移動し続けて、今月の秋分の日に定点に来るはず。それを楽しみにしている。
市民農園
2019-09-05 07:27
近くに市民農園がある。細かく区画を作り、2年刻みで貸し出している。約10平方で、1年につき8000円。抽選で借りるという。
2年間楽しんで去った人の後に、改めて新しい人がやってきて野菜などを育てるのだが、まずは耕して石灰、肥料を投入。期待する稔りは、とうもろこし、ナス、トマトなどが多い。
この市民農園ができる以前のこと、農家から直接借りた土地で野菜を作っていた時期があった。
この時は朝から夕方まで、畑に入り浸っていた。借りた畑も広かった。そして何かお礼はしていたとは思うけれど、只で使わせてもらっていた畑だった。
農家の人が文字通りの師匠だったので、毎日が発見と感激に包まれていた。鍬を担いで畑に通うのが嬉しかった。
当時、高齢だった師匠から学んだことは、師匠亡きいまも生きている。野菜作りを離れても暮らしに生きている。
いま、8月が終わり9月に入り、市民農園のフェンス沿いの雑草が大繁茂している。潤沢な肥料の余波だろうか、信じられないほどの育ちようだ。
ああしたら、こうすれば、とか、つい思ってしまうが。
師匠ほどの高齢になった私は、自分の持ち物を人に手渡すことができない。伝えたいのに。社交的な性質でないからだろうか?
しかし私の師匠はぶっきらぼうで、口が重く、たいてい下を向いている人だった。
たまに長話をしてくれるときは、遥かに見える丹沢の山並みに目を放って独り言のようだった。
2年間楽しんで去った人の後に、改めて新しい人がやってきて野菜などを育てるのだが、まずは耕して石灰、肥料を投入。期待する稔りは、とうもろこし、ナス、トマトなどが多い。
この市民農園ができる以前のこと、農家から直接借りた土地で野菜を作っていた時期があった。
この時は朝から夕方まで、畑に入り浸っていた。借りた畑も広かった。そして何かお礼はしていたとは思うけれど、只で使わせてもらっていた畑だった。
農家の人が文字通りの師匠だったので、毎日が発見と感激に包まれていた。鍬を担いで畑に通うのが嬉しかった。
当時、高齢だった師匠から学んだことは、師匠亡きいまも生きている。野菜作りを離れても暮らしに生きている。
いま、8月が終わり9月に入り、市民農園のフェンス沿いの雑草が大繁茂している。潤沢な肥料の余波だろうか、信じられないほどの育ちようだ。
ああしたら、こうすれば、とか、つい思ってしまうが。
師匠ほどの高齢になった私は、自分の持ち物を人に手渡すことができない。伝えたいのに。社交的な性質でないからだろうか?
しかし私の師匠はぶっきらぼうで、口が重く、たいてい下を向いている人だった。
たまに長話をしてくれるときは、遥かに見える丹沢の山並みに目を放って独り言のようだった。