Site logo
Site logo
myExtraContent1
myExtraContent5
Oct 2020

子育て 親育て

育ててもらった、と親に感謝する子がいる。親を殺す子もいる。色とりどりの親子関係を並べ出したら紙幅は関係ないだろうが、スクロールしても続くだろう。それはのちの機会に譲るとして、誕生日にあたり、ぜひとも言いたいこととして、子が親を育てる場合を書きたい。
実は今日、私が在るのは、二人の子が育ててくれた故である。私が子どもに対してしたことと言ったら、お話にもならない日常の暮らしのことだけだ。それも穴ばかりで、手取り足とり伝えたわけではなかった。歯を磨く、といった毎日の習慣も、ろくに教えなかったと思う。しかし二人の息子は揃って見事に健康な歯の持ち主だ、なぜかというと、よい歯医者さんに出会ったので、私は先生に子供たちの歯を丸投げしたのだった。今も同じ歯科医院の、子供たちと同世代の若先生に診ていただいている。全てがこの調子で、学業はそれぞれの先生へ丸投げだ。母親がすることと言ったら、ご飯を作ることと掃除洗濯くらいのものだ。料理は子供の時から並んで流しに立っていた。火を扱うし、焼いたりこねたり、かき回したりは子らにとっては大きなお楽しみだ。泥んこ遊びも良いが、後で食べられるのだからやめられない。
教えるというよりも、一緒にやってきたのだし、伝える楽しさも大きかった。伝えてきたことの中で、最も大きいこと、それは第二次世界戦争の時の体験話だろうか。
一方、ふとした子どもの言葉をつかまえ、受け入れ、成長してきたのは私の方だった。なんで〜 どうして〜 で始まることが多い少年の思いは柔軟であり新鮮だった。私は目を見張るような驚きを持って聞き入り、時間をかけて咀嚼する。
子供たちがいることで消耗するのではない、手がかかるのではない、細い私の心が太く、強靭に育って行けたのは、まさしく子の力によるものだった。
今もかわらず対等に話してくれる息子たちの来訪を待ち構えていて、ためておいた幾つかの なんで〜 どうして〜 を訊ねる。私の問いに新鮮さはなく、重く硬い。どうして核兵器だけ反対なの? なんで核そのものを廃絶しないの? 
楽しみは どうして なんでと問い交わし 親子揃って考えるとき  次回へ続く
0 Comments

85年を振り向けば

いつもは気にもしないことですが、お誕生日という節目にふと立ち止まった、あらためて身の周りを見まわした。
なんと綺麗な人たちに囲まれていることでしょう、私は。今は新型コロナウイルスのおかげで簡単には会えないけれど、同年齢の人たち、年上の方々、若い人々、皆とりどりの暮らしようだけど、仲良くしてくださる人たち、みんな美しい。
世の中にはいくらでもいる、おぞましい人々。私はいま85歳になったところだけれど、嘘つきやいじめっ子は80年以上前からすでに身の回りにいたのです。
そんな中で生きてきたいま、まああ! 私の周りはなんと美しい花の野でしょうか。咲いている花々は、どれも平凡という名の、見慣れた花です。特別に産出された珍奇な花ではありません。
仲が良いという花。本当のことを話すという花。あったかい花。愛の花。思いやりの花。花弁の、どこかが欠けていても生き生きしている花。
いつの間にか集まった平凡で、穏やかな花たち。はじめのうちは周囲に根を張ってきて、棘のある枝葉をのさばらせていた醜い花々、嘘つきの花、嫉妬の花、貪欲の花などは、虫に食われて消え去りました。無視という虫は益虫です。
そう、昨夜も仲良しの一人とメールでおしゃべりをしました。そのやり取りを少し、おすそ分けしましょう。
私が送ったメールは、今現在の自分の状況を知らせる内容です。「子供たちが非常に仲が良いこと。全員が同じ情報を共有していること。嘘をつく人がいないこと。ものや金銭面などで我欲を持つ者が皆無であること、などなど平凡なことです」
友人のコメント「これは平凡なことではない、と私は思ってしまいます。決して簡単なことではないと思うのです。情報を共有するためには、誤解を恐れずに言えば、同じくらいのレベルの教養が必要になると思います。同じ日本語を話していても、それを理解しあえているとは限らない」。
続いて愛情論になり、私のコメント「大事なことは愛情の偏りがない、これを家族全員がわかっていることが必要じゃないかと思っています」
これに対する友人のコメント「私には稀有のことにすら思えます。このことも、平凡だということも、泰子さんが長い時間をかけて育て上げてきたもので、どこにでも転がっているようなものでは決してありません」
思い出した、卒業式の後の、謝恩会での思い出、卒業する全員が一人づつ立って挨拶したときのこと、私は一言「平凡に生きたいと思います」と言った。皆、若々しくて夢いっぱいで華やかな夢を歌うように語っていた。
「それは、とても難しいことですよ」先生が耳打ちするように、隣でおっしゃったのを、思い出した。
0 Comments

私の誕生日!

10月に生まれました。爽やかな秋、大好きな青空。今年のお誕生日は格別の、幸せ極まるお祝いをしてもらった、その日のうちに書くはずの日記は、その日だけではない、翌日も翌々日にも記せず、つまり感動と感謝と幸せ気分が続いていた故に、貧弱な文字には変換できませんでした。
息子がトランペットを演奏してくれました。得手ではないことを百も承知の上で、中年になってから学び始めたトランペット。ハッピーバースデーのヴァリエーション! じっと座って聴くことができなかった、ウロウロしてしまい、定まらぬ視線。
贈ってもらっている「お誕生日、おめでとう」のメロディー。バラ色の音色、クリーム色の音色。ラベンダーに、スカイブルーに変わる。
嬉しくて涙がこぼれそうになって、それがまた幸せなのでした。もう一人の息子が送ってくれた花かごに溢れる暖かな色の花々と溶け合う、極彩色の音の流れが部屋の中を踊る、それが目にも見えたのでした。
私は地に膝をつき、太陽に、そしてこの大地に、両腕を天に向けて指を開き、この幸せを頂いたことを感謝しています。こんな年齢になったのですから、身も蓋もなく喜んで感謝してもバチは当たりますまい。
気がつくとハッピーバースデー・バリエーションは終わっていて、LOVE を奏でてくれていました。
0 Comments

猫の散歩

富士猫の散歩とも言えない朝夕の散歩。
フジちゃん散歩よ、と声をかけるまでもなく、手にハルターを持った私を眺めていた富士は、玄関の三和土に走り降り、ドアに両手をかけて立ち上がる。それを抱き上げてハルターをつけ、ドアを開く。富士のワクワク散歩の始まりだ。

猫の習性だろう、どれほど待ちかねていたとしても、いきなり飛び出すようなことはしない、内側にいて表の気配を伺う。
大丈夫だな、と確かめてからドアを出る。この、人任せにはしない態度は見習う点の一つだろう。
アイヌ犬の千早が懐かしい。さあ、行きましょうねっ ドアの鍵をかけるのを辛抱強く待つ千早。何秒とかからない鍵をかける時間でさえも、足踏みするほどに待ち遠しい。
行く手に目を放ち進む、勢いの良い足取り。時折見上げてきて、ニコッとする可愛さ。千早のおかげで私は長年の偏頭痛が消えて足腰が丈夫になったのだ。

しかし猫の富士は、家の前の道に出るなり座る。とても行儀の良い座り方で、前足を揃えて長い尾を体に沿って巻きつけるように整え、猫背スタイルで座る。私はドアの鍵をかけず、電子ブックを持って出て、玄関前のスツールに腰掛けて本の続きを読み始める。
富士は、右から来る人、左から走ってくる車、自転車、親子連れ、通るものを眺めている。時には10分も20分も、何も通らない時もある。それでも富士は丸い目を見張って眺めている。これが富士の、朝夕お楽しみの時間だ。
これに外猫のマルオが加わる。マルオはもう、だいぶ高齢になり、ほとんどの時間を庭のハウスで寝て過ごしているオス猫だ。富士が赤ちゃんの時からよく知っているが、だからと言って親密な関係ではない。よく猫同士がくっついて眠っている写真を見るが、毛の一筋も触れ合ったことがない。互いが疎遠を好むのではない、富士が避けているので、マルオは遠慮しているという構図。が、並んで道に座ることは問題ないらしい。一方が、素早く右手を見る、一方も右手を見る。左に目をやる、必ず、もう一方も、すぐに左を向く。わかったことは、マルオが先に視線を向けることだった。富士は一拍遅れだ。そしてふたりの視線の先には必ず、犬連れの人、あるいは道に降りたカラス、スズメ、時にカートを曳く女性の姿などがあった。何も見えないのに揃って見つめることも多い。つられて眺めていると、必ず何かが、誰かが現れるのだ。私が気づくのは、いつもマルオと富士の後ではるかに遅い。
0 Comments

コロナ暮らし

引きこもり暮らしを検証し、しかも歓迎する理由は、自分が高齢者だからである。
この先、ウイルスは新型であれ旧型であれ襲ってくるだろう、しかし。それよりもはるかに確実に、しかも間近に我が身に降りかかるだろう状況は、歳を重ねることによる否応ない引きこもり生活である。
つまり体が不自由になり、動きたくとも動けない。今回は外圧による引きこもり生活だが、高齢者は遅かれ早かれ内圧による引きこもり暮らしをする流れに乗っている。
エスカレーターに足がついていかない、青信号に変わるのを待ち構えてスタートしても渡りきれない。そして、トイレに行くのも一仕事になるだろう。これは長く生きていれば誰もが通る道ではないだろうか。
95歳の女性で、待ってよ! とバス停めがけて走る人がいる。でも、それより20歳も年下でも寝たきりの人も大勢いる。じゃあ、95歳の人の方が立派で、えらいのか? そうはいかない。寝起きに介助が必要でも胃腸が丈夫、どこも悪いところがない人もいる。数多の病歴を抱えて病院と親密な人でも仕事を続けている人もいる。
小学一年生の時に、ランドセルや教科書や、何もかも一緒だった私たちは、高齢になるにつれて枝分かれしてゆく。多種多様に変化した突き当たりに、再び一緒になる日、死が来る。

自分自身にまだ、何かする力が残っている間は自分でやりたい。
車を降りた、バスに乗れない、歩けない。その時、大根1本をどのようにして手に入れるか。キャットフードがなくなった、どうやって手に入れるか。
ちなみに、バスに乗れなくなるのは、踏み込む力が衰え、歩幅が狭くなるために、体重移動が不安になるためだ。さらに、当地のように坂道が多い土地では車椅子が使いにくい。電動車椅子は、さらに危険だ。
このような問題が、今回の「お試し期間」のおかげで体験できて安心した。なーに、問題なく暮らせるのである。
わがままも通る。私はメダカを飼っているが、タニシがいたら、もっといいなあと思った。通販でタニシ10匹注文した。中1日置いて元気なタニシが到着。タニシは増えて色艶も良く、これから越冬するつもりだ。

高齢者が多様な不自由を抱えながら、わがままもできてニコニコしながら暮らせる。っていいなあと思っている。
こんな良い気分に浸っていた時、メールをもらった。
ブログの更新が間遠だけれど、元気? という仲良しさんからの便りだった。
メールによる返事でなしに、ブログで返そう、と思った。そうなんだ、大根もいい、タニシも結構。
でもでも。でも。何よりも嬉しい、最高に楽しいことは心通い合うことなんだ。
これは離れていても会えなくても、必ず通じ合える。交わし合える気持ちの、あたたかみ。
ここに大きな幸せ、生きている実感の手触りがあり、思わず感謝の念が溢れる。
0 Comments

スーパーへ行った

昨日、駅前のスーパーへ行った。久しぶりだった。入り口にカートが並び、バスケットが積んであるのだが「消毒済み」と赤字の張り紙が付いていた。
水曜日の午後2時ごろ、もっとも空いているだろう曜日と時間、と思って行ってみた。セルフレジは行列もなく、空いていた。買ったものは胡瓜と茄子、ほうれん草と生姜。他に買いたいものはなかった。
以前は、お惣菜を好きなだけ自分でパックする方式だったが、それらは消えていた。全部、あらかじめパックされて並んでいた。こんなに変わったのだなあ、と一回り見物した。
何ヶ月ぶりだろう、たしか三月の初め以来だ。その時私は、図書館の予約を全部取り消し、借りていた本を全部返却し、スーパーに買い物に行くことも取りやめて引きこもったのだった。
これはcovid19防御の体制だったが、生活方式を、このように変えて何が変わるだろう、どこが不自由で、いつ耐えられなくなるだろう、体験してみようという気持ちもあった。だから守ることが大切なのだった。
引きこもり生活を7ヶ月半以上、しかも快適に続けることができた要因はいくつもある。これから何回かに分けて検証して行こうと思う。
まずは、社会が変わったこと。宅配の活躍が目覚ましく、置き配が常態化したことだ。幸い玄関前に大型宅配ボックスを設置してある。これが一番役に立った。
通常は鍵をかけてもらい、配達状を郵便受けに入れてもらう方式だが、置き配になってからはチャイムで到着を知らせてもらう、返事をして、ゆっくり受け取りに出るというやり方。
会社によってはハンコ不要である。配達完了しました、とメールが入る。この先、ますますハンコ不要が増えそうで、これも嬉しいことの一つ。
これを機会に、当たり前だと思って従ってきたやり方を、否応なく見直さざるをえなくなり、変わる。あるいは廃止する。新しい姿が生まれることもあるだろう、楽しみだ、大歓迎の気持ちです。
0 Comments
myExtraContent7
myExtraContent8