文房 夢類
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85年を振り向けば

いつもは気にもしないことですが、お誕生日という節目にふと立ち止まった、あらためて身の周りを見まわした。
なんと綺麗な人たちに囲まれていることでしょう、私は。今は新型コロナウイルスのおかげで簡単には会えないけれど、同年齢の人たち、年上の方々、若い人々、皆とりどりの暮らしようだけど、仲良くしてくださる人たち、みんな美しい。
世の中にはいくらでもいる、おぞましい人々。私はいま85歳になったところだけれど、嘘つきやいじめっ子は80年以上前からすでに身の回りにいたのです。
そんな中で生きてきたいま、まああ! 私の周りはなんと美しい花の野でしょうか。咲いている花々は、どれも平凡という名の、見慣れた花です。特別に産出された珍奇な花ではありません。
仲が良いという花。本当のことを話すという花。あったかい花。愛の花。思いやりの花。花弁の、どこかが欠けていても生き生きしている花。
いつの間にか集まった平凡で、穏やかな花たち。はじめのうちは周囲に根を張ってきて、棘のある枝葉をのさばらせていた醜い花々、嘘つきの花、嫉妬の花、貪欲の花などは、虫に食われて消え去りました。無視という虫は益虫です。
そう、昨夜も仲良しの一人とメールでおしゃべりをしました。そのやり取りを少し、おすそ分けしましょう。
私が送ったメールは、今現在の自分の状況を知らせる内容です。「子供たちが非常に仲が良いこと。全員が同じ情報を共有していること。嘘をつく人がいないこと。ものや金銭面などで我欲を持つ者が皆無であること、などなど平凡なことです」
友人のコメント「これは平凡なことではない、と私は思ってしまいます。決して簡単なことではないと思うのです。情報を共有するためには、誤解を恐れずに言えば、同じくらいのレベルの教養が必要になると思います。同じ日本語を話していても、それを理解しあえているとは限らない」。
続いて愛情論になり、私のコメント「大事なことは愛情の偏りがない、これを家族全員がわかっていることが必要じゃないかと思っています」
これに対する友人のコメント「私には稀有のことにすら思えます。このことも、平凡だということも、泰子さんが長い時間をかけて育て上げてきたもので、どこにでも転がっているようなものでは決してありません」
思い出した、卒業式の後の、謝恩会での思い出、卒業する全員が一人づつ立って挨拶したときのこと、私は一言「平凡に生きたいと思います」と言った。皆、若々しくて夢いっぱいで華やかな夢を歌うように語っていた。
「それは、とても難しいことですよ」先生が耳打ちするように、隣でおっしゃったのを、思い出した。
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