文房 夢類
文房 夢類
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November 2020

夢類日記 終了

12月が目の前に、もう迫ってきた。日本各地には数多の祭りがあり、それらは農耕社会の人々の、秋の実りへの感謝、地域を守ってくれる神々への感謝、そしてさらなる守護を祈念する催しだ。そして真冬に入り、お正月を迎える。
アメリカやカナダでは、同じ意味を持つ感謝祭が催される。この日は七面鳥の丸焼きを作り、秋の実りの数々を料理して飾り、家族が集い祝い楽しむ。どうして七面鳥なのかという理由は、聞いた話だがピルグリムがメイフラワーでやってきたとき、荒野のブッシュを駆けまわる、すごい面相の大きな鳥を見つけて捕まえて飢えをしのいだのが始まりだという。大きな木製のお皿の真ん中に丸々と太った大きな七面鳥の丸焼、その周りをマッシュポテトやトウモロコシや、いろんなご馳走で取り囲む。この日には、家を離れて暮らしている子たち、家族、みんな寄り集まって、とにかく食べる楽しみに浸る。アップルパイも焼いてある。
木製のお皿というか、七面鳥のためのプレートには、肉汁が流れるように細い溝が付いていて、端にはグレービーの溜まり場が丸く彫られている。
これらはすべて、その家のお母さんが料理する、だから子どもたちにとっては懐かしいふるさとの味、母の味だ。アメリカでは第4木曜日だから、今年は、明日の26日だ。

「早いけど」と言って長男がダンボール箱の大きいのを持ってきてくれた。今は、このようなご時世なので、家族が集まって食事を楽しむことはしません。長男は私のために感謝祭のご馳走を持ってきてくれたのだ。
クランベリージュースの3リットルボトル。冷凍の七面鳥しかなくてね、と言いながら次々に現れる七面鳥丸焼きの一部。スタッフィング、サツマイモ。彼は材料を調達して自分で焼いたのだった。クランベリーソースも持ってきてくれた。
スタッフィングにはカシューナッツ、セロリを使っていた。パプリカの輝くい色合い、しっとりと焼きあがったターキーの香りにめまいがした。これは、私のやり方そのものだった、パプリカを使うことも私のやり方だった。私のふるさとの味を、息子が作ってふるさとへ運んできてくれたのだ。
私には、東京都内という生まれ故郷と、新しい気質、文化に触れた2番目のふるさと、アメリカがある。これはアメリカ大陸の味だった。私がお隣やお向かいの奥さんたちから教えてもらい料理している時に、周りをうろちょろしていた子たちが、見て覚えていたのだ。まだ、背伸びして流しの中を覗くようなチビちゃんだったのに。次男が作るミートソースは絶品だし、いつの間にか、子たちは母の手を超えてしまった。母の味、ふるさとの味を、それぞれの手の中に育てて持っていた。ゆっくり食べてね、と帰って行く息子の車を見送った後、私は干し柿を思い出した。この日に手渡すために出来上がったばかりの干し柿を包んでおいたのだ。
もう、ダメだと思う。こう簡単に忘れ物をするようでは。これが初めてではない。自分自身に呆れている。真っ赤っかの夕焼け空は、明日の晴天を報せている。感謝、感謝の感謝祭は良い節目じゃないかな、この辺で夢類日記を終わりにしましょうと思い立った。
今まで読んでくださった日本列島各地の皆様に心の底から感謝します。どうもありがとうございました。

波状攻撃を受ける人々

新型コロナウイルスは、当初より予測されていたように、波のように緩急をつけながら襲ってきている。今は第三波なのだという。寒さはウイルスの敵ではないらしく、夏よりも長生きするともいう。
日々の暮らしを守りつつも、守りきれずに仕事を失い、途方にくれる人々が次第に増えてゆく様相を、暗澹としつつ思いやるも、なす術もないのである。
私の母の母は28歳という若さで3人の幼児を残して亡くなった。肺炎にかかって突然亡くなってしまったと聞いていたが、スペイン風邪にかかったのではないか、そうに違いないと年代を指折り数え、思い起こしている。
疾風の如く襲いかかり、老いたもの、弱き者たちからなぎ倒してゆく様は、春一番と呼ばれる早春の疾風、木枯らしという初冬の強風に似ている。
山野の樹木たちにとっては、春一番も木枯らしも、枯れ枝や病葉を一掃してくれる益風でもあるのだが、疫病は、生き物すべてにとって恐怖で覆い尽くしつつ命を奪い去る害毒以外の何物でもない。
グスターフ・シュバープが記したギリシャ・ローマ神話の、ごく初めのあたりにゼウスが人間を作る話がある。最初に黄金で作った人間、黄金族は、穏やかに消滅し地上の守護神、正義の保護者となる。次にゼウスは銀で人間を作った。この銀族は傲慢で神を崇拝しなかったので滅ぼしたが、魔人として地上をさまよう許可を与えた。ゼウスが三番目に作ったのが銅製の人間で、これは巨大で残忍、暴力的で肉食を好んだ。当時は鉄がない時代であったから銅製の農具で畑を耕していたという。この恐るべき種族はゼウスによって滅ぼされたのではなかった、黒死病によって滅ぼされて冥府の闇に沈むのである。
世界中に散在する言い伝えの中に洪水伝説があり、そして疫病がある。原始、まだ文字もない時代から人のそばをうろついていたんだなあ、と改めて思う。

コロナ暮らし その2

2月末以来だから、11月9日の今日までで、およそ8ヶ月になった。
なにそれ? で始まった知識面では、ほとんどゼロ状態から始まり進歩してきたと思う。発端の伝聞情報、報道も含めての各種情報は奔流のように流入する。しかしこれらはまさに浮かんで流れてくるものであり、根がなかった。現場に行って確かめる訳にはいかない代物だから、確実な方法はウイルス専門学者の著書を読むことだった。このラインは成功だった。むやみに恐れるものではなく、かといって侮れるような相手ではないことが身にしみた。ウイルスの歴史も学んだ。ここでは人類が微小微弱の新米に見えて愕然とした。ウイルスは地球上の大先輩だったのだ。
暮らしの面では、スタート時点では東日本大震災の時の経験から、何一つ新規に用意をしなくても50日は生活に困らないことがわかっていたので慌てる事もなく、悠々と引きこもりを始めた。ところが100日経っても続くのだった。3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月!
さあ、ここから新しい経験に入った。第一に困ったのが、図書館を利用できないことだった。仕方なく買うことにした。画面をクリックして発注。早い時は翌日に手に入る。電子書籍であれば、買った途端に読み始めることができる。これは快適、上々の天国気分。
衣食に関しての問題はなかった。衣類は手持ちのものが多すぎて、減らそうと努めているのだから買う必要はない。食は週に一回の生協の配達で十分だ。時折、地方の野菜農家の野菜や果物などを買うが、これも書籍同様に画面操作で終わる。宅配ボックスを設置しているのでクール便でない限り安心していられる。
これではCOVID19が完全に消滅したとしても、高齢者としては続けたほうが良い暮らし方だと思った。交通費はかからない、買い物の時間も必要ない、良いことづくめである。交流はメールが大活躍だ。こうなったら、何年でも続いて大丈夫。引きこもりなんかへっちゃらだ!

こうして日々が過ぎるうちに、歯医者の予約の日がやってきた。定期点検。点検のおかげで無事に過ごせているのだから是非とも行きたい。しかし私は人混みが怖くてバスに乗ることができない。もちろん電車にも乗れない。歯科医院にはバスと電車、両方に乗らなければ行かれないのだ。
息子が現れた。車で連れて行ってくれるという。息子夫婦は、私以上に衛生管理が徹底しているので安心できる。ありがたかった、めでたく歯医者に行くことができました。待合室からは雑誌や絵本が消えて、空気清浄機の大型のが入っていた。そして待っている人がいなかった。人の姿が見えないと、ほっとする。 私は人を怖れるようになっていた、潜伏期にも感染力があるという、ということは、道行く人々すべて、一人残らずシロではない、黒だと見なすべき存在なのだから。
帰り道に息子が言った、どこか行きたいところ、ある?
 思ってもみなかったことだった、どこかへ行く。どこか。そうだった、この8ヶ月の間、私にはどこか、という選択肢がなかったのだと気がついた、必要不可欠な衣食住、これは十分に足りている。手に入れる手段も十分にあった。しかし、そこからはみ出した何か、どこか。これがなかった。
気づいた途端、私は飢えを感じていた。「あのね、バラが見たいんだけど。秋のバラって、香りが通るのよ、良い香りなのよ」。
神代植物園に寄ってもらい、駐車場に車を止めて枯葉の舞う草地を散歩し、バラ園の中の小道を歩いた。バラが咲いていた、噴水の水が青い空に跳ね上がり、光っていた。噴水の中に立ったかのように、気持ちが潤った。
潤った気分で駐車場の車に戻った時、息子がため息まじりに言った、いや驚いた、あんなに人が出ているなんて。最近、人が怖くてね。

独楽吟

「独楽吟」。これは(ひとりでたのしむうた)で「たのしみは」で始まり「……の時」で終わる短歌です。
独楽吟というものを私は知りませんでした。40年以上のあいだ中学高校で国語を教えていらした方で、今、大勢の人に独楽吟を広めて句集をつくる活動をしていられる、師匠であり、友人である方から教えていただきました。
子供でもできます、高齢者もできます、忙しい人でもできます。誰でも詠める短歌で、暮らしの中の楽しみを見つける歌。
楽しみは~~ の時。これだけ。ほかには何も規則はありません。
日常の暮らしの中で、ああ、ヤダヤダ、なんて呟きながら日が暮れるって、みじめじゃありません? 楽しいものに目を向けよう、こんな楽しみあったんだ、と発見することも楽しみです。たがいに詠み合えば、おたがいの楽しみも伝わってきます。


これは江戸時代の国学者、歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)が52首遺している歌です。こんな歌があります。
   たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどい  頭ならべて物をくふ時
これは、ごく普通にある家庭の風景でしょう? 平凡でしょう? 家族が一つテーブルを囲んでモグモグと一心に食べている。それだけのことを橘曙覧は、楽しみはと歌っています。
   
(でも、これって平凡だろうか? 当たり前のことだろうか? どこにでもあることだろうか? 今の私たちにとって ……

平成6年6月、当時の天皇皇后両陛下がご訪米の折、クリントン大統領の歓迎スピーチに、
   たのしみは朝起きいでて昨日まで  無かりし花の咲けるを見る時
という橘あけみの歌を引用されたことで、埋もれていた江戸の学者、橘曙覧が脚光を浴びたのだそうです。今では小学校の国語の教科書「言葉を選んで短歌を作ろう たのしみは」という、創造のセクションに出ています。(小学六年生国語教科書・光村図書)

最近の私は、楽しいこと見つけたよと一句詠むのが癖になってしまいました。どなたも気楽に楽しく一句詠んでみてください。
 楽しみは 昼過ぎ猫と散歩して 学校帰りの子らに会うとき 
ちなみに、猫は犬と違ってなかなか散歩しませんが、わが家の猫は朝夕の散歩が大好きで、散歩しよう、と声をかけるとドアに向かって走ってきます。犬と同じようにリードをつけます。
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