コロナ暮らし その2
09-11-20 08:55
2月末以来だから、11月9日の今日までで、およそ8ヶ月になった。
なにそれ? で始まった知識面では、ほとんどゼロ状態から始まり進歩してきたと思う。発端の伝聞情報、報道も含めての各種情報は奔流のように流入する。しかしこれらはまさに浮かんで流れてくるものであり、根がなかった。現場に行って確かめる訳にはいかない代物だから、確実な方法はウイルス専門学者の著書を読むことだった。このラインは成功だった。むやみに恐れるものではなく、かといって侮れるような相手ではないことが身にしみた。ウイルスの歴史も学んだ。ここでは人類が微小微弱の新米に見えて愕然とした。ウイルスは地球上の大先輩だったのだ。
暮らしの面では、スタート時点では東日本大震災の時の経験から、何一つ新規に用意をしなくても50日は生活に困らないことがわかっていたので慌てる事もなく、悠々と引きこもりを始めた。ところが100日経っても続くのだった。3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月!
さあ、ここから新しい経験に入った。第一に困ったのが、図書館を利用できないことだった。仕方なく買うことにした。画面をクリックして発注。早い時は翌日に手に入る。電子書籍であれば、買った途端に読み始めることができる。これは快適、上々の天国気分。
衣食に関しての問題はなかった。衣類は手持ちのものが多すぎて、減らそうと努めているのだから買う必要はない。食は週に一回の生協の配達で十分だ。時折、地方の野菜農家の野菜や果物などを買うが、これも書籍同様に画面操作で終わる。宅配ボックスを設置しているのでクール便でない限り安心していられる。
これではCOVID19が完全に消滅したとしても、高齢者としては続けたほうが良い暮らし方だと思った。交通費はかからない、買い物の時間も必要ない、良いことづくめである。交流はメールが大活躍だ。こうなったら、何年でも続いて大丈夫。引きこもりなんかへっちゃらだ!
こうして日々が過ぎるうちに、歯医者の予約の日がやってきた。定期点検。点検のおかげで無事に過ごせているのだから是非とも行きたい。しかし私は人混みが怖くてバスに乗ることができない。もちろん電車にも乗れない。歯科医院にはバスと電車、両方に乗らなければ行かれないのだ。
息子が現れた。車で連れて行ってくれるという。息子夫婦は、私以上に衛生管理が徹底しているので安心できる。ありがたかった、めでたく歯医者に行くことができました。待合室からは雑誌や絵本が消えて、空気清浄機の大型のが入っていた。そして待っている人がいなかった。人の姿が見えないと、ほっとする。 私は人を怖れるようになっていた、潜伏期にも感染力があるという、ということは、道行く人々すべて、一人残らずシロではない、黒だと見なすべき存在なのだから。
帰り道に息子が言った、どこか行きたいところ、ある?
思ってもみなかったことだった、どこかへ行く。どこか。そうだった、この8ヶ月の間、私にはどこか、という選択肢がなかったのだと気がついた、必要不可欠な衣食住、これは十分に足りている。手に入れる手段も十分にあった。しかし、そこからはみ出した何か、どこか。これがなかった。
気づいた途端、私は飢えを感じていた。「あのね、バラが見たいんだけど。秋のバラって、香りが通るのよ、良い香りなのよ」。
神代植物園に寄ってもらい、駐車場に車を止めて枯葉の舞う草地を散歩し、バラ園の中の小道を歩いた。バラが咲いていた、噴水の水が青い空に跳ね上がり、光っていた。噴水の中に立ったかのように、気持ちが潤った。
潤った気分で駐車場の車に戻った時、息子がため息まじりに言った、いや驚いた、あんなに人が出ているなんて。最近、人が怖くてね。
なにそれ? で始まった知識面では、ほとんどゼロ状態から始まり進歩してきたと思う。発端の伝聞情報、報道も含めての各種情報は奔流のように流入する。しかしこれらはまさに浮かんで流れてくるものであり、根がなかった。現場に行って確かめる訳にはいかない代物だから、確実な方法はウイルス専門学者の著書を読むことだった。このラインは成功だった。むやみに恐れるものではなく、かといって侮れるような相手ではないことが身にしみた。ウイルスの歴史も学んだ。ここでは人類が微小微弱の新米に見えて愕然とした。ウイルスは地球上の大先輩だったのだ。
暮らしの面では、スタート時点では東日本大震災の時の経験から、何一つ新規に用意をしなくても50日は生活に困らないことがわかっていたので慌てる事もなく、悠々と引きこもりを始めた。ところが100日経っても続くのだった。3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月!
さあ、ここから新しい経験に入った。第一に困ったのが、図書館を利用できないことだった。仕方なく買うことにした。画面をクリックして発注。早い時は翌日に手に入る。電子書籍であれば、買った途端に読み始めることができる。これは快適、上々の天国気分。
衣食に関しての問題はなかった。衣類は手持ちのものが多すぎて、減らそうと努めているのだから買う必要はない。食は週に一回の生協の配達で十分だ。時折、地方の野菜農家の野菜や果物などを買うが、これも書籍同様に画面操作で終わる。宅配ボックスを設置しているのでクール便でない限り安心していられる。
これではCOVID19が完全に消滅したとしても、高齢者としては続けたほうが良い暮らし方だと思った。交通費はかからない、買い物の時間も必要ない、良いことづくめである。交流はメールが大活躍だ。こうなったら、何年でも続いて大丈夫。引きこもりなんかへっちゃらだ!
こうして日々が過ぎるうちに、歯医者の予約の日がやってきた。定期点検。点検のおかげで無事に過ごせているのだから是非とも行きたい。しかし私は人混みが怖くてバスに乗ることができない。もちろん電車にも乗れない。歯科医院にはバスと電車、両方に乗らなければ行かれないのだ。
息子が現れた。車で連れて行ってくれるという。息子夫婦は、私以上に衛生管理が徹底しているので安心できる。ありがたかった、めでたく歯医者に行くことができました。待合室からは雑誌や絵本が消えて、空気清浄機の大型のが入っていた。そして待っている人がいなかった。人の姿が見えないと、ほっとする。 私は人を怖れるようになっていた、潜伏期にも感染力があるという、ということは、道行く人々すべて、一人残らずシロではない、黒だと見なすべき存在なのだから。
帰り道に息子が言った、どこか行きたいところ、ある?
思ってもみなかったことだった、どこかへ行く。どこか。そうだった、この8ヶ月の間、私にはどこか、という選択肢がなかったのだと気がついた、必要不可欠な衣食住、これは十分に足りている。手に入れる手段も十分にあった。しかし、そこからはみ出した何か、どこか。これがなかった。
気づいた途端、私は飢えを感じていた。「あのね、バラが見たいんだけど。秋のバラって、香りが通るのよ、良い香りなのよ」。
神代植物園に寄ってもらい、駐車場に車を止めて枯葉の舞う草地を散歩し、バラ園の中の小道を歩いた。バラが咲いていた、噴水の水が青い空に跳ね上がり、光っていた。噴水の中に立ったかのように、気持ちが潤った。
潤った気分で駐車場の車に戻った時、息子がため息まじりに言った、いや驚いた、あんなに人が出ているなんて。最近、人が怖くてね。