文房 夢類
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国立新美術館

ルーヴル美術館展とマグリット展という大きな展覧会を観てきた。国立新美術館の設計は黒川紀章、2121デザインサイトの設計は安藤忠雄。六本木のトウキョウミッドタウンの左右にある、この対照的な2美術館、両方ともよい空間を持っていて大好きだ。ルーヴルは平日だが混雑していて疲れてしまったけれど、はっきりとしたテーマ「日常を描く」作品の展示が見事だった。フェルメールの「天文学者」に人気が集まっていたが、ウジェーヌ・ドラクロワの「鍛冶屋」に惹かれた。30cmX20cmほどの小品。
マグリット展は見応えのある代表作が並んで、しかも言葉が傍らに置かれている作品多々。せっかく来たのだから、全部観ましょうという気持ちを捨てて、幾つか選んでしっかり見て帰ってきた方が得るところが大きいと思うのだが、全部観てしまった。この美術館は空間がよくて、休める場所がきやすくみつかるのでありがたい。

照ノ富士やった!

大相撲春場所。13日目。結びの一番で白鵬と対戦した関脇照ノ富士が寄り切りで快勝した。毎日、毎晩、何十回となく富士富士と呼んでいるので大相撲も富士贔屓になった。怪我で休場している先輩の安美錦が、頑張れと書いて掲げてくれたのが目に入った、やらなきゃと思った、とインタビューに答える照ノ富士。いいなあ、こういうシーンを見られるのが醍醐味だなあ。最近は面白くないシーンが多かったので晴れ晴れした。白鵬は態度がよろしくない。昨日も賞金を受け取る態度が、掻っ攫う腕つき目つきで気色悪かった。

サリン事件から20年

今日、20日で、あの地下鉄サリン事件から20年だという。それに先立つ松本サリン事件の被害者夫妻は、長い年月の苦しみの末に奥さんが亡くなられた。今日現在、後遺症に苦しみ続ける大勢の被害者がいる。この事件が、いきなりTVからリビングに飛びこんできたとき、私にとって「サリン」という言葉は初耳だった。ましてや、それが何であるかは知るよしもなかった。解説をきくうちに猛毒なものだ、と分かったつもりになったが、これはうわべの知識にすら及ばない話題でしかない。はっきりと見えて知る事実は、人の死である。
ips STAPという、見知らぬ文字が専門家の世界からはみだしてニュースになった。解説しようとするメディアの人間も、記者会見で質問しようとする記者たちも、にわか仕込みの浅い知識しかない。最近は専門化が進んで、細分化された先端は理解不能状態である。こうだ、と言われれば、そうか、と聞くしかない。
共通していることは、いかに難しい何やらを扱ったにせよ、扱う手の大元には人の想念がある。
最近読んだ本の中に、マザーテレサの言葉が引用されていた。引用の引用で恐縮ですが、紹介します。
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」

春の香

かれこれ10年前から塗り直したがっているドア。今年こそペンキを塗りなおそうと決心している。まずは古ペンキを落とさなければならないから、ディスク・グラインダーを買うことにした。あっという間に出来上がり、を期待して買いに出た。ただ出かけるのも面白くないから歩くことにした。医者は運動、特に歩くことを勧めるけれど、用もないのに歩き回るのは、どうも気にくわない。片道1時間15分、往復2時間半歩いた。道々、梅が咲き誇り香りが漂う。梅干し用の梅林が各所に散在する地域を抜けてゆくので、身体中に春の香りが浸み渡る心地だった。足もとには房咲きの水仙が、これもよい香りを放ち、沈丁花の紅色の蕾がほどけて白い花弁が幾つか開いている。思わず寄って香りを楽しんだ。北国の人たちは、まだまだ深い雪の中。申し訳ない気持ちだ。
 肝心のペンキ塗りは、結局ワイヤブラシと金のへらを使うことになった。店の若い者が力を込めて言ったのだ、この方が早い。この方が簡単です。4,5万円もするグラインダーを止めて、100円200円のブラシを何本か買って帰った。ペンキ落としで、腕力がつくことでしょう。

寝覚めの白雪

昨日アップしたブログの校正ミスを修正したついでに、今朝の小さな出来事を伝えましょう。春眠暁を覚えず。しかし私は、夜明けと連動して早起きにしてゆく。これは野生動物の習性として自然なことだと感じているので、できるだけ従うことにしている。この習慣は、車で日本列島を巡るときに、いやおうなく従ったことから身についたものだ。秋口から大食傾向になり体重が増えて、春に向って締まってゆくのも自然の力ではないか。一年中早起きの人や、体重の増減がない人は、どこかで人為的な力を加えているのだろう。
それはさておき、今朝目を覚ましたら薄明の部屋、蒲団のまわりが雪景色であった。見渡すかぎりの雪。森敦の『月山』か! 冗談! 
飛び起きて、と言いたいが現実は、どっこいしょ、と身を起こす。それは綿棒だった。プラスチックの短い筒が転がっていた。ま、綿棒は色々に使えるから。と私はかき集めて半透明の筒に集めた。隣の部屋のソファーの下にまで散っていた。ごはんっ、お腹空いた! と富士が見上げている。

春の猫

外猫坊やのマルオは、秋口からしっかり食べてきたので、冬中元気に過ごしてきた。前年の春季闘争で右側の目の上を負傷してひどい顔つきになっている。年々、年を取っているのだから、もう無理をして欲しくない。温かにして眠り、朝ご飯を待っている姿を見ると、ホッとしてなにかと声を掛けてしまう。
ところが案じたとおり、2月末から彼の生活は不規則になった。夜中の集会に出かける。女猫をめぐり闘う。朝になっても現れない。そして。左目の上に深い傷を負って戻ってきた。止めなさいって言ってるでしょ! と文句を言っても、甘ったれのおねだり声だけである。恒例の春季闘争。汚れきって血を流している身体中から戦いの精気が溢れて、まなざしだけが疲れとないまぜに鎮まっている。
しかし今年は、さらなる新たな闘争が加わった。それはテリトリー死守闘争である。彼の城はメロディから奪い取った我が家の庭である。ここに、安全に眠れる場所と、顔を出せば貰えるご飯がある。また、トイレの場所もあって、これも大切な条件だ。用を足している最中は無防備になるので、寝場所と同様に、安全な場所が求められる。この城を狙う猫が現れたのだ、デブの黒猫と、精悍な大型白猫である。黒猫は新入り、白い方はこの界隈のボスだ。マルオの体力に陰りが見えたと見て取り、追い出しにかかってきた。こうなると彼女なんかは、どうでも良い。テリトリーは命に関わる問題だ。夜明け前の庭で繰り広げられる大戦争。砂利の庭だから蹴散らかす。これが猫の力かと、信じられないほどの脚力だ。だからといって、私が介入できるものではない。悩み深い春の猫である。

猫の目ふたたび

夜、猫の目が光る理由は、わずかの光を集めるために反射板が入っているからで、これが反射して光って見える。暗がりで見える力を持ったことは、ひきかえに昼間に多彩な色を見分ける構造を失うことになった。ヒトは、この対極にいる。赤い色が見えなかったら、何色に見えるのかしら、と疑問に思ったが、最初に書いた「猫の目」以来勉強した結果、灰色に見えていることがわかった。黄色や緑色は、はっきり見えている。時計がなかった昔に、猫の瞳の大きさが変わることを利用して時刻を計ったことがあった。実際に使ったかどうかはわからないが、たとえにも、猫の目のように変わるなどと言い、よく引き合いに出される。夜光る目を持つ動物は数多いが、かれらは野生動物だから遠い存在だ。身近にいて注目される猫の目を撮影することにした。針のように細い目から、フルムーンのような真っ黒い瞳までを並べてみたい。
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