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入園→入学→入センター

4月の新学期から2ヶ月が過ぎて、昨日は梅雨入りした。
幼稚園児も小学生も中高校生たちも、すでに「新」から脱け出て、今が当然といった表情だ。
最近は4月に限らないが、入所する新入りの人たちがいる。デイケアセンターに通う高齢の市民たち。
介護ホームのように入所したきりになるのではなくて、毎週日時を決めて通うシステムだから、どちらかというと登校する子たちと似ていると言える。
私は、高齢者のデイケアセンターに興味津々なのだが、まだ見学したことがない。
よく知っている知人たちの話では、通うようになると変わりますよ、とのことで、見学では見えないそうだ。

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ムラサキツユクサ

緑の季節。紫陽花が見頃を迎え、立葵が咲き始める梅雨の時期に入った。
ムラサキツユクサも咲いている。この花は花壇に植えることもあり、道端のような、さりげないところにも咲く身近な花で、ツユクサとともに朝開き、夕べには閉じる1日花だ。
このムラサキツユクサは、放射能の影響により花の色が変わるという。これは3.11の後しばらくしてから知ったことだ。
本来は濃い青色の花びらだが汚染された土地では、花びらの色がピンクに変わるので、土壌汚染のバロメーターになるという。
これは聞いた話なので調べてみたところ、確かに書かれてもいるが出所が明らかではない。自分では確かめるすべもない、あくまでも「伝え聞いた話」なのだ。
それでも、つい花の色が気になって去年も今年も撮影しては、撮影地を記録している。
はっきりとした三角形の群青色の花の中心に黄色い蕊が映える美しい花。
これは事実だろうか、風評か。
観察するに花の色は年々色褪せて、今年、市民農園のほとりに群れ咲くムラサキツユクサの花びらは、雨に濡れた桜の花びらのような淡色である。
風に乗って運ばれる噂を信じることは危険なことだ。別の場所では昔ながらの花色もあるのだ。
出所の確かな情報を得ようと吟味を重ねる昨今、道端から無心に見上げてくる花に耳を寄せる、聞かせてくれるだろうか、花の声を。
今は見えないものを見なければならず、大合唱に消される小さな声に耳を傾けなければならない時代。
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富士が5歳に

猫の富士が5歳になった。掌に収まる子猫だったのが5キロの重さ、人間の年齢に換算すると約36歳。
30代といえば人生真っ盛り。分別もあり体力もある。幸い怪我も病気もなく、のびのびと猫生を謳歌している。
短毛で尾の長い猫は活発だという。この特徴を知ったのは、すでに何枚かの瀬戸物を割られ、壁の額に飛びつかれ、ペンダントライトにぶら下がって揺れているのを見上げた後だった。
しつけと称して、このような行為を罰する人もいるようだが、まずは観察。
犬のほうが話が通ずるという思い込みがあるものだから、犬、それも亡き千早と比べてしまい、ついに観察の期間が5年間に及んでしまった。
人間同様、猫も持って生まれた性格があるので、姿かたちを知るように、内面もつかむことが付き合いの第一歩で、5年経ってようやく、お互いが解り合えた感じがする。
富士はこっちの都合で左右されるのが嫌い、納得して自分から動きたいたちなんだ、とわかった。
だからハルターをつけて近所を散歩していて、帰ろうか、と声をかけると、帰る気になっている時は家の方に向きを変える。まだ散歩していたい時は、もっと、というそぶりをしてみせる。
こちらのいうことを理解しているが、言うとおりにするかどうかは自分が決めたい。
無理に抱き上げると体の奥で沸騰するような音を立てて怒っているのが伝わってくる。
猫は喜んでいるときにゴロゴロいうが、怒っているときもゴロゴロいう。これはまさにハラワタが煮えくり返っている、という感じを受ける。
人間も怒り心頭のときに、お腹をゴロゴロしたらどんなものだろう、あ、本当に怒ってる、と伝わるかもしれない。空腹と誤解されるかな。
千早が私の心と心を合わせる喜びをもっていたのに比べると、富士は、常に自分は自分だから、気心が知れてしまうと、同居していて疲れない相手と言えるだろう。
富士は我が家を自分のテリトリーと認識しているので、常に外回りに警戒心を働かせ、怠らない。
吠えて知らせてくれる千早がいた時は心底安心していたが、富士との暮らしでは、こればかりは期待できないと最初から諦めていた。猫は吠えないから。
が、犬よりも聴力に優れていると言われるネコ族だ、わずかな音に対して鋭く反応する、しかし決して声は出さない。
待ち伏せ式の狩猟方法を持つネコ族は、緊張するといっそう音を消そうとする。代わりに微妙な変化を見せるのは、その姿、毛並みだ。
富士の姿を見ることで、外の気配を素早く感知することができるとわかった時は嬉しかった。
ガレージに車が入る、インターフォンの前に人が立つ、これより以前に察知できて体全体が変化する。
という次第で、最近の富士は防犯猫として頼りにされるようになっています。
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ふるさとを見下ろす

五月晴れの朝、新宿方面へ行く用事のついでに都庁展望室へ寄った。
いつでも来られると思ううちに、一度も行ったことがない、となりそうなので思い立った。
新宿駅から動く歩道に乗り、決して歩かず、並行して歩く人々や店を見物する。まるでお上りさんだが、この界隈の変化は見ものであるというわけだ。
都庁に入ると、いきなり長い行列が伸びていた。観察するにガイジンの群れのようである、しかしこれが目的の展望台への行列だったのだ。
HPで調べてこなかったので仕方がない、並んでいる人に声をかけたら40分待ちだという。
やがて正午を過ぎてしまい、都庁で働く人々が昼食のために出てきた、これを眺めるのも興味深いことで、都庁で働きたいと希望して働いている人々の特徴を集約してみる。
浮いてしまう人種は、最初から参加をやめたほうが良いのだ、集団には参加する前に自分自身を見極めないと苦しむことになる。相手の組織がいけないのではない、自分自身の性根から浮遊した希望を持つことが間違いなのだ。

12人乗り2基のエレベーターが45階の展望室までピストン輸送をしていた。
エレベーターに乗る前に荷物のセキュリティ検査があり、これはいつも行われているものであるか、それともトランプ大統領来日に備えてのことかはわからない。
展望室のガラス越しに見物した。地上202メートルからの眺めは、期待通りの五月晴れ、素晴らしいものだった。はるか遠くに富士山、丹沢山系。目の下には高層ビルが林立して、それぞれデザインを誇るかのようだ。
スカイツリーが見えた、特徴のある網目模様のモード学園、新宿センタービル、KDDI、国立競技場、明治神宮、オペラシティ。あれも見えた、これも知ってる。
右往左往して大喜びだが、外国から訪れた人々は、それそれの建物と結びつく糸口がないから全体を眺めて、すぐに終わりだ。
年配の男性が背後から英語で話しかけてくれたので振り向いたらボランティアの人だった。
ボランティアの味はいかがですか。
展望室へ上がるためには40分も待つが、いったん上がってしまえば好きなだけいられるという。話しているうちに仲間のボランティアの人も寄ってきて楽しい輪ができた。
みなさん70代だという、月に1回来る人、2回の人と、いろいろで、他の日は地域の子どもたちの世話をしている人もいた。
この展望室にくる8割の人が外国からの観光の人だそうで、日に3000人。若い時に海外で仕事をしてきた経験を生かして、この展望室に来ているのですよ、とも話してくださった。
最近はQRコードで詳細な情報を読み取ることができるために、ここは「忙しくない」そうだ。いやもう地元は忙しくて、と初耳な話も聞かせてもらった。

ひとしきりして再び見下ろす新宿。あっちの方向に淀橋浄水場があった、その向こうが柏木の淀橋病院。今は東京医大というけれど。
ここで、あたしの子どもが生まれたんだ。その先、成子坂の方へ歩いていったところで生まれたんだ、私は。
高層ビル群が霞んできて灰色一面の焼野原が浮き上がり、それもたちまち消えて木造平屋の家々が並ぶ、地形が露わに見える武蔵野の台地が地平線の果てまで伸びていった。
ふるさとを見下ろす空は五月晴れ

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認知症を減らすこと

認知症を減らすには、の話題。
統計を取り、何年先に認知症患者がどのくらい増えるかを予想。増加を防ぎ、罹患率を下げようと努めている様子が、日々のニュースから伝わってくる。
ボケ予防としてパズルをしたり、野菜の名を思い出せる限り書き出したりの工夫。
高齢者たち自身も、いやあ、ボケ防止と思って歩いてますわ、などと挨拶代わりにボケを使っている。
自動車運転免許更新手続きの一環として、高齢者講習が義務付けられている。運動機能検査などある中に、認知機能の検査もある。
その検査方法は、時計の文字盤を描き、時刻を長針短針で示すものなどいくつかある。
記憶力テストでは、何枚かのパネルに数種類のもの、たとえば野菜、動物、道具類などの絵が並ぶ。
これを次々に眺め記憶し、ややあってのちにパネルの絵を思い出せるだけ思い出して書きつらねるという検査である。
このテストを喜寿の頃にやったのが最後だが、終わって講習所を出ようとした時に講習所の人に呼び止められ、全問正解、順序まで正確だった、と驚かれた。
あらまあ。これは頭が良いわけではない、だいたい、バナナ、ハサミ、ラクダ、自転車。こんな風に並んでいるものをどんどん覚えられるわけがないのである。
人間、無意味なことに力を出せるようには作られていないのである。記憶するために記憶するなんてバカバカしいじゃない。
批判、反発、炎上を覚悟でいうと、高齢化とともに進むボケは自然現象であり、もう頭を使いたくなくなっているのではないか。
無意味になっているのだと思う。思い煩うことから解放されたいのである。楽になりたいのである。まだらボケなんて天国じゃないか。

先の話題に戻ると私の方法は、すぐさま物語を作り、モノをはめ込んでゆく。たとえばバナナをハサミで切ったらラクダった。というように。
途中で物語が途切れては続かない、最後まで繋がる物語にしてゆくことがコツ。
いくらパズルをやっても、指の運動をしても、野菜の名前を思い出しても、認知症を防ぐことはできないのではないか、と思う。
このように愚考を重ねている折しも、『老いと記憶』副題=加齢で得るもの、失うもの 増本康平著 を読んだ。読書評に書きます。
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高原書店、閉店

今朝、と言っても昼寄りの、10時を過ぎている今、地方版ニュースで高原書店が一昨日の5月8日に閉店したと知った。
東京都町田市のJR・小田急線の町田駅にほど近いところにある古書店で、1974年に開業した。
細々とした開店当初から表現したいことを持っている古書店だった。40年を超える付き合いになる。
が、最近はご無沙汰していたのだ。なぜかというと車を降りたことが原因。車で気軽に行けていたのが、バスだ、電車だ、駅から歩く、というわけで足が遠のいていた。
もう2つ原因がある。
1つはネット検索で日本国内の登録古書店から希望の資料が発掘できることで、もちろん、この中に高原書店も入っていた。
2つ目はkindleで、深夜、突然読みたくなった時でも、即、買い、瞬時に読めること。
しかしネットでは、高原書店は検索の上位に出てくるので、元気にやっているなあ、と安らかな心地でいたのだ。
社長の部屋でお茶をご馳走になっていると、受注本の発送に忙しい様子が見て取れたから本物の破産らしい様子に衝撃を受けている。
小誌「夢類」でも取材させていただき、取り上げたことがあった。
この書店は、創業時から一貫して発信する姿を続けてきていた。子供たちへ読み聞かせ、大人たちへ朗読会。
陽子社長と親しい役者さんたちが協力、出演してくれる、身近で新鮮な舞台。
こういうことを無料で行い続けてきたのだ。
このお店でバイトをしていた三浦しおんさんが直木賞を受賞した時、陽子さんは身をよじって喜んだ。
立て込んでいるだろうが、ちょっと行かねばならぬ。前にも破産寸前まで詰まったことは、あったのだ。

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晩白柚

鹿児島の友達から晩白柚を1個、貰った。バンペイユと読む。
初めて見るもので、びっくりした。直径20センチを超える巨大みかんで、ギネスブックに登録されている世界最大級の柑橘類だという。
見た目は夏みかんそっくりだが、夏みかんより肌触りが柔らかく、弾力がある。
窓辺に飾ったら2部屋続きの空間がみかんの香りで満たされて、身も心もほんわか。すっかりくつろいでしまった。
マレー半島が原産地で、これが九州に伝わり、今では熊本県八代が名産地に育ったそうだ。
長持ちするみかんで、約ひと月は眺めて楽しめるというが、我慢なしの私は早速賞味。
さっぱりとした上品な味わいで、なにしろ大きい房だからフルーツサラダに入れても見栄えがする。
同梱の解説書に従い、果肉と表皮の間にある白い部分を料理した。この部分は、みかんを剥いたときに出る白い筋と同質のもので、
海綿状の白い部分は、なんと厚みが2センチ以上ある。ものすごい厚み。これを熱湯につけて云々、やがて3日ほど天日に干した。
干し芋づくりのように天日に晒したのは私のアイディアで、猛烈甘くして砂糖漬けにする方法が一般的らしい。
一見、生姜糖に見える出来上がりだが、好みの薄味なので甘さは仄かなものに仕上がった。
ところで、この白い部分、いつも邪魔にされている白いところに、ビタミンPがあると知った。
ビタミンPの働きは、なかなかのものであるという。
例えばビタミンCと協力して毛細血管のメンテナンスを行い、肌の老化を防ぎ、シミ、シワを遠ざける。
脂肪分解力があり、中性脂肪を抑制。動脈硬化を防ぐ。
ビタミンCを守り、安定化させる。
これはなかなか良いので、ぜひ広めて熊本応援に加わりたいと思います。
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上野千鶴子さんの祝辞

桜の季節、東京大学学部入学式で上野千鶴子さんが祝辞を述べた、これが話題になっているので全文を読みました。続いて反響の片々も少々拝見。
若者たちへの祝辞を読む当方は、上野千鶴子さんよりもずっと年長さんです。
一番に「ここが良い」と目をつけたところは以下のところです。紹介します。
「女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。」
フェミニズム運動が、ここまで成長、成熟してきたことに対して、大きな感動に包まれました。
地球は小さくなり、世界中の女たちが、直接手をつなぐことができる時代になりました。上野さんは、マララさんが日本を訪れたことも話していられます。
しばしば耳にする反論は「そんなに男女差別なしが好きなら、オリンピックだって、男女区別なしにしたらいいじゃないか。」というものです。
そうじゃないのに、と説明したい女性たちに代わって、上野さんはフェミニズムについて、この機会に明快、明確に発言してくださいました。これは「言挙げした」と言いたいくらいです。
この祝辞が話題となっているので、どうか、この部分にも注目していただきたい。
一方、反論もあることは健全なことですから期待したのですが、見所のある反論には行き当たりませんでした。
上野さんのことを「ばあさん」と書いている人を何人か見受けました。石原慎太郎が選挙運動の最中に、対立候補者に多用した罵詈雑言の一つです。
また、名のある人の中では木村太郎氏の評が目につきましたが、評と呼べる内容はなく、ひたすら男性+上から目線で小馬鹿にする雑言でした。
これでは老害と罵られても黙るしかないでしょうが、それ以前に自分自身を貶めています。年齢を重ねたからといって、自ら死に体になる必要はありません。
というわけで、この祝辞は様々な角度からの受け取りようができて、春から夏へ向かう活発な空気をもたらしました。
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WTOの判断

世界貿易機関(WTO)は今回、韓国による福島など8県産の水産物の輸入禁止措置を妥当とする最終判決を下した。
日本産食品の輸入を規制している国、地域は他にも香港、中国、台湾、シンガポール、マカオ、米国、フィリピンが一部の県産について輸入禁止の措置を継続している。このほかの国にも、検査証明書を要求するなどしている国は、EU、ロシアなど十数か国ある。
これまで日本は台湾に対して輸入を強要するかのような態度をとり続けてきたし、今回の敗訴はショックだ、がっかりだという反応が多々見受けられる。基準値を満たしているし、安全なのに、という不満だ。
しかし私は、この判断は良かったと思う。禁止しなければいけない。
今、小売りの場面で必ず見られるのは産地の表示である。これをも信じられないとなった場合は、お手上げというか日本壊滅だと思っている。産地を確かめて買う必要があるのだ、野菜も海産物も。
なぜだろう? と尋ねるまでもない3.11故である。地震と津波のためではない。地震と津波だけだったら寄ってたかって修復し、強固な地域を構築し、むしろ人口も増えて発展してゆく。
大昔からの勤勉で、我慢強い態度が、今回に限り機能しないのは原発が原因で、これは政府の仕業である。しかも今もって反省はなく、原発を作り続けている。
政府が絶え間なく努力し、行動していることは何か? 事実に目をふさぎ、嫌なものは見ない、聞こえない、なかったことにする、というごまかしと嘘の構築である。
3.11以来、かろうじて産地の表示を信じて暮らしているが、それ以外の諸々は全く信用していない。基準値も計測値も、計測機器も、信用するに足る足場は見えない。
あの日以来、私は水を買い続けて飲料と料理用に使っている。費用がかかるが耐えるしかない。
あの日以来、私は近海物の海産物を全く買っていない。北海道のホタテ以外の貝類は佃煮だって買わない。そんなの常識よ、という人が多いから言うほどのことではないが。
あの日以来、食べないものが多々あることは、極めて不自由だし、楽しみもそがれることではあるが、死ぬまで続けるつもりだ。
3.11は、だから風化どころじゃない、日々毎日、接している現実なのだ。
韓国の若い女性がテレビの取材に答えて言っていた、「この先50年は日本のものは食べない」。是非、そうしてほしい。50年でも短いくらいだ。
国は、文句があるなら太平洋に1滴も汚染水を流出させなくなってからにしてくれ。残念なことだが、国は嘘をつきすぎたし、嘘つきをやめない。
食べない、買わない、の行為の底には、健康を守ることのほかに、3.11が現実の問題であるということの主張と、国への怒りと反発が渦巻いている。


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福島、富岡町の桜

花見時が北上してゆく季節。福島県富岡町の桜並木は2キロ余りも続く見事な眺めだ。それを今朝のテレビで眺めた。
高線量のために立ち入り禁止地域に指定されている地域内の、桜のトンネルと呼ばれる美しい並木。
避難先の人々のために花見見物のバスが用意されて、バスの窓越しの花見をしてきた人たちが映った。8年ぶりだ、綺麗だったと笑顔を見せる。
解説する報道者の言葉。「本格的な除染が今、始まったばかりです」
待ってくれ、除染するって、この土地に人を住まわせるつもりか? 2023年に除染終了? 

見ず清し、という。目の前に汚物があっても横を向いていれば見えない。見なければ汚いと感じずに済むのだという。
三尺流れれば水、清し、ともいう。川の流れに汚物を捨てても流れ去るからきれいな水だという。
汚物が目に見えて、手で触れることができてさえも、この始末だ。放射能は見えない、臭わない、その存在を確かめる術が人には備わっていない代物である。
忘れるために便利な言い回しもたくさんある。人の噂も75日。
10年後の福一は、十年一昔か。大過去の昔語りとして忘れ去るつもりか?
痛くも痒くもないのだから、忘れてしまえば気持ちも楽になれるかもしれない。
高線量のために窓も開けられないバスを仕立てて故郷の人を乗せるという企画を立て、取材放映の段取りをつけたのは誰だろう?

桜樹の寿命は長くはない。50年もすると老樹となる。桜の名所は、名所の名を守るために、注意深く交代を図り存続させるのだ。
米どころの福島、果実豊かな福島、そして何より、何という心温かな人達だろう、福島は。
良き福島を汚したのは、福島を故郷とする人たちとは関係のない人々だ。
関係のない人々が汚しておいて、自分たちは近寄らず、この先なかった事にしようとしている。
福島富岡町の美しい桜のために愛と祈りを。
「福島へ帰るな運動」に賛同してほしい。守りたい、救いたい、故郷の命を。
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麻生川の花見

もう先週のことになるが、麻生川沿いの桜道を歩いた。小田急線の新百合ケ丘駅から次の柿生駅までの、ちょうど一駅分の細道。
麻生川は鶴見川の水系で、区内を流れてのちに鶴見川に流入している小さな川。両岸に金網のフェンスがあるから花見客は川に落ちる気遣いはないが、とことん無粋ではある。
去年の花見は、誘われて真盛りに出かけた。屋台が並びグループの宴が続く。桜の枝に結び付けられた提灯、短冊が賑やかだ。短冊には俳句が一句ずつ、作者の名もあり、幾つもの句会が参加している模様。
これが花見だ。しかし、この春は念入りに気配を伺い、注意深く花見どきを狙った。花は開きはじめたが宴には早いという微妙な時期が欲しい。
実は、あの短冊が苦手なのだ。飲んだり食ったり歌ったりは神経に触らない。しかし、見たくもない文字がヒラついているのが目に入ることくらい苦痛なものはない。
あの、提灯だか雪洞だか知らぬが、祭りでもないのにxoまつりなどと書いてぶら下げる、花だけなら美しいが、ああいう醜いものをぶら下げられては、目を背けるしかないではないか。
一年一度の、ほのかな桜色、わずかな日々に開き散りゆく花の色を、無残にも汚しにかかる蛍光ピンク色の提灯と短冊。
昨日今日の不平ではない、前々から大嫌いだったのだ。これ以上黙っていると、こっちの命が終わりになっちゃう。

川沿いの桜は、当方が当地に移り住んだ頃に植えられたもので、若木の幹は物干し竿より細かった。車窓から細々とした木を眺めていたのが昨日のことのようだ。
今はひと抱えどころか大樹となり、桜の名所と呼ばれることもあるそうだ、しかし。車窓からは見えない。
それは線路と川の間にビルなどが建ちならび、ほとんど見通せなくなってしまった故である。桜樹は育った、そして人の営みもまた。
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無私の言葉

昨日のこと、野球選手のイチローさんが引退し、会見を行った。TVのニュースで知ったが、その後はどこのチャンネルでも何度も報道し、今日もさらに続く報道は、国民栄誉賞に話題が及んでいる。
芸名というのか商標というものか知らないけれど、姓名ではなく、名前だけをカタカナで表して世に出てきた、この時の新しさを覚えている。当時はなかったことだ。
天与の才能の上に比類のない鍛錬、努力、工夫を積み重ね、人知れぬ苦難も克服しての今日に違いない。周辺の大勢の人々が、口々に賞賛の声を上げている。
1時間20分に及んだ引退会見では、周囲のすべての人々に感謝と思いやりを示し、妻をねぎらい、愛犬にも話が及んだ。
周到に計画された機知に富んだ会見は深夜に輝き、すばらしかった。帰宅して家族に囲まれ、大成功だったと喜びあうことだろう。

これより約2週間前の夕方、流しに向かいながらTVをつけていたら清原和博と聞こえたので振り向いた。
覚醒剤取締法違反で有罪判決を受けて以来、報道に名の出ることのなかった元プロ野球選手。甲子園以来、すごいスターだった人だ。
すっかり姿を消していた清原さんが、ゆっくりとした低い声で話していた。一文字も揺るぎのない、しみ入る言葉だった。私はTVの正面に棒立ちになって聞き入った。
言葉の持つ力、重さ、輝きに、私は感動で動くことができないほどになった。文学で、これだけの発信を見たことがあるだろうか? 及ぶものではない。
彼は書いたものを読んでいるのではない、思うことを口に出している。その一語一語が、取り替えの効かない誠実、真の言葉だった。

ネットを検索して探したが、完全文は見つけることができなかった。TVは、2度とやらなかった。が、概要は次のようなものだ。
その日、都内で行われた厚生労働省の主催したイベント「誤解だらけの”依存症” in 東京」に出演したもので、一般客約180人を前にしてのトークセッションだった。
話す相手は、国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦医師。清原氏は現在も2週間おきに通院して治療を続けているそうで、主催者側の配慮で、たったの5分間出演だった。
苦しんでいる人のためになれば話そうと、松本医師に語る形で自身の歩みと心の内を語ったもので、ぶっつけ本番だったという。
さらに検索すると、その前日に母の死があり、しかも死に目に間に合わなかったという。どれほど愛されていた息子かということもたくさん出ていた。
2週間以上経っても、忘れられないどころか、大きく広がり、輝きを増す5分間の言葉。
自分の姿を眺める人々がどう思うか、など雑多な諸々が打ち捨てられて、無私の心にいる姿、在るものは、弱き者たちへ差し伸ばそうとする手だけだ。
亡き母よ、嘆くな喜べ、立派な息子だ、と追悼の心を送ろう。忘れることのできない、時に思い出す価値のある人だ。




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星の瞳

北風一方通行の季節が移り、南風の日が混じるようになった。重いジャケットからマフラーを外して気分も軽くなる。
が、相変わらず風邪をひいている人は多いから、バスには乗らずに歩いている。
ちいさなスミレのような花びらの、青色の花が群れて咲いていた。これはオオイヌノフグリ。
身近な草花には、なんで? どうして? こんな名前をつけたの?
とたじろぐ名前が、よくある。オオイヌノフグリは、その一つだ。並んで生えているスズメノカタビラも、その一つだ。ヘクソカズラというつる草もある。
漢字で書くと「大犬の陰囊」「雀の帷子」「屁糞蔓」となる。
日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎博士は600種余りも新種を発見され、名付け親となった植物は、オオイヌノフグリを含めて2500種以上もあるという。
なんか、その時の気分もあったのかもしれないが、名付けられて代々呼ばれる身になったら、あんまりだなあ、と歩きながら思いめぐらせ、帰宅して別名を探してみた。
発見した別名が、星の瞳。ちょっと良すぎるかな。いやいや、春を知らせる先駆けの花にふさわしい。思い出の言葉が浮かんできます。
「天に星 地に花 人に愛」「君の瞳に乾杯」 
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2月がおわる、明日から弥生

今月のうちに、やはり記しておきたい出来事があります。
それは外猫のマルオがコウモリを捕まえてきたことです。
何日か前の早朝のことで、目ざとい息子が指差してコウモリ、と囁いたので気づきました。真っ黒い小さなドローンのようだった。
10歳近いかと思われるオス猫のマルオは、時たま小鳥やネズミを捕ってくる、獲物を食べてしまうこともありますが、ほとんどの場合、獲物は私へのプレゼントであり、いつも同じ場所、私が朝一番に引き開けるガラス戸の足元に置いています。
あら、と見下ろす。まああ、と驚く私を素知らぬ風で眺めています。マルオは猛烈な甘ったれで、その一端として貢ぎ物も持ってくるから、嫌でもなんでも、その気持ちに応えてありがとうを伝えないわけにはいきません。
夏の夕方に市民農園の上を飛んでいるコウモリが、どの家のどの場所で昼寝をしているかを知っているので、かわいそうでなりません。あまり寒い日がなかったこの冬、うっかり飛び出したのでしょうか。
このコウモリは群れているのではない、たった1匹の珍しい存在、単独で生きてきていました。都会ではハロウィンの添え物くらいのもの、しかも全く好かれないもの、私も好きなんて言えない生き物です。
はじめて近々と見た子ネズミそっくりのコウモリ。目を閉じて永遠の眠りについた小さな子に、たまらない愛おしさが溢れてしまい、多分忘れることはないでしょう。
早まって飛び出すなんてバカ、バカ。私は夏の間じゅう見上げていて、あなたを知っていたのよ。キミは独りぼっちじゃなかったんだから。私がいたんだよ!
一方、それは違う、と別の声がする。
いくら雪のない冬とはいえ零下の早朝が続いたのだから、寿命が来て命を終えたに違いない。傷一つないところを見ると、見つけたマルオは見捨てるに忍びなく、運んできて私に知らせてくれたんだ。
小さな命の終わりに揺れる気持ちが、落ち着ける椅子を探している。春は残酷な季節、死と背中合わせに姿を見せる。
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雪の季節が去って行く

今日は2・26。あの日の朝の東京は深い雪だった。1メートルなんてものじゃなかった。
見ていたようなことを言うけれど、実は生まれて半年の赤ん坊だったので、いい加減なことを言っている。あの朝はね、と思い出話に耽る大人たちの話の聞きかじり。の記憶。
今年の東京の雪は、今のところ無に等しい状態だが、札幌の雪まつりは賑やかだった。
まだか、まだか、だいぶできたな、と待つうちに、あっという間に解け去って行く雪まつりの熱気。だからいい、と言えるのかも。
いままでは純白の世界だった雪まつりは、夜だけだが極彩色。今年の作で、大喜びしたのが初音ミク。
初音ミクが大好きで、録画したのを目を細めて眺めて喜んでいるのだが、まさか雪まつりに出演するとは夢にも思いませんでした。
ボーカロイドに生身の人間が心を寄せ、生人間が太鼓を叩いて共演するという現実は、雪まつりが果てても盛り上がる。
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