文房 夢類
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再びメダカ

あまりにもショックが大きすぎて、その日のうちには何も言葉にできなかった。
書かなければならないものが山積しているが、その、どれにも気持ちが行かない。
打ちひしがれて台風10号の成り行きを眺めていた。さして大きくはない秋台風の余波、長引く小雨の続く昨日今日、部屋の模様替えなどに気を紛らわせたのちに書こうという気力を奮い起こしている。
メダカの事件である。相手はハシボソカラスである。

早春以来のひきこもりの日々の中で、欠かさず続けてきたのが散歩だった。
散歩は、猫の富士と共にする。というか富士のための散歩の時間だ。朝夕2回、1回につき約3,40分。
散歩よ、とリードを持つと玄関の三和土に走り降りてドアに向かってまちかまえる富士。
ハルターをつけて玄関前の道に出る。ここからが犬の散歩と異なる行動で、道の真ん中に正座して動かない。元野良猫、今は外猫として衣食住を見てもらっている老猫のマルオが庭から現れて、この散歩とも言えない状態に参加する。
自転車が走り去る、人が通る、もちろん犬の散歩が多い。毎日の出会いで慣れてしまった犬たちとの目線交流、いつも優しくしてくれる人に寄り付いて撫でて欲しいと催促する、こんなことが醍醐味らしい。
その間私は立ちん坊だ。が、思い直して家の前を行ったりきたり、自分のための運動をしている。
気持ちが良いのは早朝だ、つい先ごろまでは4時半から5時には道へ出ていた。
この時間帯にはコウモリが彼らの宿へ戻ってくる。明けつつある空に、細かい方向転換を繰り返しながら飛んできて、一瞬のちには暗い軒下へ消えてしまう。入れ替わるように飛ぶ黒い鳥はカラスで、これは直線飛行だ。
最近、この一帯に居ついているのはハシボソカラスで、彼らの声は濁ったガラガラ声だ。頑丈で太い嘴のハシブトカラスとは以前に付き合いがあり、彼らはよく通る澄んだ声の持ち主だった。

台風9号が近づく前の早朝のことだった、起き抜けにビオトープのメダカたちに餌をやり、3時間後に次の餌をやるために、夜じゅう被せておいた覆いをはずしたまま猫の散歩に出た。この時期にたくさん食べて体力をつけ、冬を越してもらいたい。
もう、ここまで来たらお分かりのことと思う、たった3時間と思って覆いをはずしていたために、カラスにメダカを食われてしまったのだ。
コウモリが吸い込まれるように定宿に消えたのと入れ替わりに現れたハシボソが、私の斜め前の電柱に来て声をあげた。その声は、仲間を呼ぶ声だった。おーい、おいで! そう言っていた。私はカラス語を幾つか知っているのでわかった、食べ物があるよと言っていた。
おかしいなあ、今日は水曜でしょ、ゴミ出しゼロの日じゃないの。ゴミ場所には何もないはずだと私は思った。
ここで気づくべきだったのだ、ゴミじゃなくてメダカを意味していると、ピンときてしかるべきだったのだ。
しかし私はコウモリが、たった1匹の寂しい暮らしだったコウモリが、この夏の間に4匹に増えたことが嬉しくて、観察の方向が偏ってしまっていた、私はカラスの声を聞き過ごした。

ビオトープの周りに白い糞が散らばっているのを目にした途端、全てを悟った。
メダカの姿は、なかった。雨水桶で育った700匹が参加したばかりで、数えただけでも3000匹をこえていたメダカたち。8割がたが今年生まれの子たちで、皆おっとりとして懐こく明るい。昨夕、新しい水を入れてやった時は喜んで、折重なり寄ってきて、浮草の上にまで乗り上がり遊んでいたのが、さざ波一つなかった。
しゃがんで待った。やがて浮かび上がる魚影、そのほとんどが野生に戻ったフナの色をしたメダカたちだった、明るい色のヒメダカたちが犠牲になった。残ってはいるが非常に少ない。ため息とともに立ち上がった時、メダカの姿は1匹も見えなかった、おっとりしていたメダカたちは、一回の襲撃で、物影に素早く反応して身を隠すタチを身につけていた。
悔しい。

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