文房 夢類
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April 2019

上野千鶴子さんの祝辞

桜の季節、東京大学学部入学式で上野千鶴子さんが祝辞を述べた、これが話題になっているので全文を読みました。続いて反響の片々も少々拝見。
若者たちへの祝辞を読む当方は、上野千鶴子さんよりもずっと年長さんです。
一番に「ここが良い」と目をつけたところは以下のところです。紹介します。
「女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。」
フェミニズム運動が、ここまで成長、成熟してきたことに対して、大きな感動に包まれました。
地球は小さくなり、世界中の女たちが、直接手をつなぐことができる時代になりました。上野さんは、マララさんが日本を訪れたことも話していられます。
しばしば耳にする反論は「そんなに男女差別なしが好きなら、オリンピックだって、男女区別なしにしたらいいじゃないか。」というものです。
そうじゃないのに、と説明したい女性たちに代わって、上野さんはフェミニズムについて、この機会に明快、明確に発言してくださいました。これは「言挙げした」と言いたいくらいです。
この祝辞が話題となっているので、どうか、この部分にも注目していただきたい。
一方、反論もあることは健全なことですから期待したのですが、見所のある反論には行き当たりませんでした。
上野さんのことを「ばあさん」と書いている人を何人か見受けました。石原慎太郎が選挙運動の最中に、対立候補者に多用した罵詈雑言の一つです。
また、名のある人の中では木村太郎氏の評が目につきましたが、評と呼べる内容はなく、ひたすら男性+上から目線で小馬鹿にする雑言でした。
これでは老害と罵られても黙るしかないでしょうが、それ以前に自分自身を貶めています。年齢を重ねたからといって、自ら死に体になる必要はありません。
というわけで、この祝辞は様々な角度からの受け取りようができて、春から夏へ向かう活発な空気をもたらしました。

WTOの判断

世界貿易機関(WTO)は今回、韓国による福島など8県産の水産物の輸入禁止措置を妥当とする最終判決を下した。
日本産食品の輸入を規制している国、地域は他にも香港、中国、台湾、シンガポール、マカオ、米国、フィリピンが一部の県産について輸入禁止の措置を継続している。このほかの国にも、検査証明書を要求するなどしている国は、EU、ロシアなど十数か国ある。
これまで日本は台湾に対して輸入を強要するかのような態度をとり続けてきたし、今回の敗訴はショックだ、がっかりだという反応が多々見受けられる。基準値を満たしているし、安全なのに、という不満だ。
しかし私は、この判断は良かったと思う。禁止しなければいけない。
今、小売りの場面で必ず見られるのは産地の表示である。これをも信じられないとなった場合は、お手上げというか日本壊滅だと思っている。産地を確かめて買う必要があるのだ、野菜も海産物も。
なぜだろう? と尋ねるまでもない3.11故である。地震と津波のためではない。地震と津波だけだったら寄ってたかって修復し、強固な地域を構築し、むしろ人口も増えて発展してゆく。
大昔からの勤勉で、我慢強い態度が、今回に限り機能しないのは原発が原因で、これは政府の仕業である。しかも今もって反省はなく、原発を作り続けている。
政府が絶え間なく努力し、行動していることは何か? 事実に目をふさぎ、嫌なものは見ない、聞こえない、なかったことにする、というごまかしと嘘の構築である。
3.11以来、かろうじて産地の表示を信じて暮らしているが、それ以外の諸々は全く信用していない。基準値も計測値も、計測機器も、信用するに足る足場は見えない。
あの日以来、私は水を買い続けて飲料と料理用に使っている。費用がかかるが耐えるしかない。
あの日以来、私は近海物の海産物を全く買っていない。北海道のホタテ以外の貝類は佃煮だって買わない。そんなの常識よ、という人が多いから言うほどのことではないが。
あの日以来、食べないものが多々あることは、極めて不自由だし、楽しみもそがれることではあるが、死ぬまで続けるつもりだ。
3.11は、だから風化どころじゃない、日々毎日、接している現実なのだ。
韓国の若い女性がテレビの取材に答えて言っていた、「この先50年は日本のものは食べない」。是非、そうしてほしい。50年でも短いくらいだ。
国は、文句があるなら太平洋に1滴も汚染水を流出させなくなってからにしてくれ。残念なことだが、国は嘘をつきすぎたし、嘘つきをやめない。
食べない、買わない、の行為の底には、健康を守ることのほかに、3.11が現実の問題であるということの主張と、国への怒りと反発が渦巻いている。


福島、富岡町の桜

花見時が北上してゆく季節。福島県富岡町の桜並木は2キロ余りも続く見事な眺めだ。それを今朝のテレビで眺めた。
高線量のために立ち入り禁止地域に指定されている地域内の、桜のトンネルと呼ばれる美しい並木。
避難先の人々のために花見見物のバスが用意されて、バスの窓越しの花見をしてきた人たちが映った。8年ぶりだ、綺麗だったと笑顔を見せる。
解説する報道者の言葉。「本格的な除染が今、始まったばかりです」
待ってくれ、除染するって、この土地に人を住まわせるつもりか? 2023年に除染終了? 

見ず清し、という。目の前に汚物があっても横を向いていれば見えない。見なければ汚いと感じずに済むのだという。
三尺流れれば水、清し、ともいう。川の流れに汚物を捨てても流れ去るからきれいな水だという。
汚物が目に見えて、手で触れることができてさえも、この始末だ。放射能は見えない、臭わない、その存在を確かめる術が人には備わっていない代物である。
忘れるために便利な言い回しもたくさんある。人の噂も75日。
10年後の福一は、十年一昔か。大過去の昔語りとして忘れ去るつもりか?
痛くも痒くもないのだから、忘れてしまえば気持ちも楽になれるかもしれない。
高線量のために窓も開けられないバスを仕立てて故郷の人を乗せるという企画を立て、取材放映の段取りをつけたのは誰だろう?

桜樹の寿命は長くはない。50年もすると老樹となる。桜の名所は、名所の名を守るために、注意深く交代を図り存続させるのだ。
米どころの福島、果実豊かな福島、そして何より、何という心温かな人達だろう、福島は。
良き福島を汚したのは、福島を故郷とする人たちとは関係のない人々だ。
関係のない人々が汚しておいて、自分たちは近寄らず、この先なかった事にしようとしている。
福島富岡町の美しい桜のために愛と祈りを。
「福島へ帰るな運動」に賛同してほしい。守りたい、救いたい、故郷の命を。

麻生川の花見

もう先週のことになるが、麻生川沿いの桜道を歩いた。小田急線の新百合ケ丘駅から次の柿生駅までの、ちょうど一駅分の細道。
麻生川は鶴見川の水系で、区内を流れてのちに鶴見川に流入している小さな川。両岸に金網のフェンスがあるから花見客は川に落ちる気遣いはないが、とことん無粋ではある。
去年の花見は、誘われて真盛りに出かけた。屋台が並びグループの宴が続く。桜の枝に結び付けられた提灯、短冊が賑やかだ。短冊には俳句が一句ずつ、作者の名もあり、幾つもの句会が参加している模様。
これが花見だ。しかし、この春は念入りに気配を伺い、注意深く花見どきを狙った。花は開きはじめたが宴には早いという微妙な時期が欲しい。
実は、あの短冊が苦手なのだ。飲んだり食ったり歌ったりは神経に触らない。しかし、見たくもない文字がヒラついているのが目に入ることくらい苦痛なものはない。
あの、提灯だか雪洞だか知らぬが、祭りでもないのにxoまつりなどと書いてぶら下げる、花だけなら美しいが、ああいう醜いものをぶら下げられては、目を背けるしかないではないか。
一年一度の、ほのかな桜色、わずかな日々に開き散りゆく花の色を、無残にも汚しにかかる蛍光ピンク色の提灯と短冊。
昨日今日の不平ではない、前々から大嫌いだったのだ。これ以上黙っていると、こっちの命が終わりになっちゃう。

川沿いの桜は、当方が当地に移り住んだ頃に植えられたもので、若木の幹は物干し竿より細かった。車窓から細々とした木を眺めていたのが昨日のことのようだ。
今はひと抱えどころか大樹となり、桜の名所と呼ばれることもあるそうだ、しかし。車窓からは見えない。
それは線路と川の間にビルなどが建ちならび、ほとんど見通せなくなってしまった故である。桜樹は育った、そして人の営みもまた。
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