文房 夢類
文房 夢類
myExtraContent1
myExtraContent5

麻生川の花見

もう先週のことになるが、麻生川沿いの桜道を歩いた。小田急線の新百合ケ丘駅から次の柿生駅までの、ちょうど一駅分の細道。
麻生川は鶴見川の水系で、区内を流れてのちに鶴見川に流入している小さな川。両岸に金網のフェンスがあるから花見客は川に落ちる気遣いはないが、とことん無粋ではある。
去年の花見は、誘われて真盛りに出かけた。屋台が並びグループの宴が続く。桜の枝に結び付けられた提灯、短冊が賑やかだ。短冊には俳句が一句ずつ、作者の名もあり、幾つもの句会が参加している模様。
これが花見だ。しかし、この春は念入りに気配を伺い、注意深く花見どきを狙った。花は開きはじめたが宴には早いという微妙な時期が欲しい。
実は、あの短冊が苦手なのだ。飲んだり食ったり歌ったりは神経に触らない。しかし、見たくもない文字がヒラついているのが目に入ることくらい苦痛なものはない。
あの、提灯だか雪洞だか知らぬが、祭りでもないのにxoまつりなどと書いてぶら下げる、花だけなら美しいが、ああいう醜いものをぶら下げられては、目を背けるしかないではないか。
一年一度の、ほのかな桜色、わずかな日々に開き散りゆく花の色を、無残にも汚しにかかる蛍光ピンク色の提灯と短冊。
昨日今日の不平ではない、前々から大嫌いだったのだ。これ以上黙っていると、こっちの命が終わりになっちゃう。

川沿いの桜は、当方が当地に移り住んだ頃に植えられたもので、若木の幹は物干し竿より細かった。車窓から細々とした木を眺めていたのが昨日のことのようだ。
今はひと抱えどころか大樹となり、桜の名所と呼ばれることもあるそうだ、しかし。車窓からは見えない。
それは線路と川の間にビルなどが建ちならび、ほとんど見通せなくなってしまった故である。桜樹は育った、そして人の営みもまた。
myExtraContent7
myExtraContent8