文房 夢類
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東京の祭り、その2

トウキョウ、と決まったオリンピックにかかるお金のことで、都知事の桝添さんが文句を言っている。報道されない事情がたくさんあるだろうが、要するに東京都も文部科学省も、不満を抱えているのだろう。私の提案は、恥を忍んでオリンピック開催を返上したらよい、というものだ。繰り返すが、リビングが火事で、まだ煙が出ているのに、玄関に客を迎えようとしている姿が見える故に反対している。いま、もっとも力を注ぎ、心を砕く場は東北。福島の後始末は、終わるどころか深刻度を深めているのが事実であることを、承知しながら故意に蓋をしている政府。
私は、初対面の組織と出会ったときに、まず人々の表情と行動に注目する。たとえば病院、小売店、各種企業事務所など身近なところ、あるいは同好会でも。笑顔がみえない、仏頂面がいる、目を伏せている、帰る客が暗い、こういうところからは、離れることにしている。皆が仲良くできて、明るい気持ちが溢れている場は、よいものが生まれる土台でありましょう。
たぶん、オリンピックは行われることだろう、なんとか成功に持って行って貰いたいと、反対の気持ちを抱えつつも願う。前回の東都知事のときは、信じられないなあ、敗戦国の日本で、という驚きと共に嬉しさと感激が溢れていた。国中が胸一杯になった。振り返ると素朴であったとも感じる。二度目のオリンピック開催の年に、生きているかどうかわからないけれど、気持ちの一体化が難しい状態から胸一杯に持ってゆくのは並大抵ではない。

東京の祭りだ

いま、神田祭の真っ最中。大手町の将門塚に到着したところ。行ってみたい、行きたい。私は一昨日神田明神にいたのですが、そのときすでに浮き立つ空気が充満していました。飛び入り参加のために半天など祭りグッズ専門の店も出ている。着古した印半纏、巾着をぶらさげてチェックを入れてまわる老職人の格好良いこと! 目顔の挨拶が、あちこちで交わされます。ピカピカの提灯が目の上に溢れ、黒々と神田祭の三文字が浮き立つ。神田祭の先には三社祭が待っています。これが凄い。行きたいなあ。
何年も昔のことになりますが、神保町の本屋、ここは私の師匠の懇意な国文専門の書店で、いまは若い主人が店をやっている、しかし隠居した元主人も店にいるのです。店には客は少なく、というか私ひとりが元主人と亡くなった師匠の思い出話をしています。と、若主人が父を呼ぶ。どこぞの大学から電話が入り、なんとかの論文の、なんとかが欲しいと言う、これが大主人の出番であり、もそもそと這うように動いて屈んで、パンフみたいな茶渋色の紙を床すれすれの棚から引き出す。背表紙などつける幅もない小冊子です。若主人がニコニコして電話に戻る、そこへ神輿がやってきた。三社祭です。神輿が店先を通る。大主人と並んで眺めた三社祭が思い出されます。

銀杏の花

上野公園には花の地図があって、桜からはじまり、地図が溢れそうに咲き誇る花マークがついている。いまは牡丹園に人が集まっている。敷石にふわりと柔らかい綿のような花が一面に散り敷き、私は何の気なしに踏んで歩いた。気持ちにゆとりがあったのだろう、屈んで拾い上げて見上げた、この木から落ちた花がら。何の樹でしょう。それは銀杏だった。
銀杏って、こんな花を咲かせていたんだ。秋の黄色い葉、そして銀杏。銀杏の樹の下を見るのは、いつも秋だった。春の銀杏は、まだ小さな葉っぱの手を思い切り広げて、もう一息、大きな葉になろうとしていた。瑞々しい緑。柔らかな薄黄浅緑の花。
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