文房 夢類
文房 夢類
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線香花火大会

昨夜は夢類の工房で線香花火大会を開催した。これは大げさな表現であって、ほんの4人が夕食に集まってくれた、食後の花火だった。年齢が年齢なのでドタキャンが二人も出たが、一同、動じない。またやればいいわよ、である。
夜更けとはいかないが、夕食後の8時すぎになって始めた線香花火は室内で、だった。庭で催したいが、頼みのトンボは寝ているらしく蚊がいるのだ。おまけに多少風も吹くので室内となった。
電灯を消し、大きめの水盤に水を張り、その上での花火である。
話はここからで、用意した線香花火は2種類あり、ひとつは従来のもので束になって売られている馴染みの線香花火。もう一つが大会の目玉ともいうべき線香花火で、これは立派な箱入りであります。
この線香花火は、この日のために花火専門店で求めてきた「牡丹桜」という名の線香花火で、皆の前で封を切った。私も初めて手に入れたものであるから、さあ、どんな花火なのか全員が見守るという次第だった。
まずは普通のをやってから、と相談がまとまり、見慣れた線香花火が花開いた。水盤の上なので水に映り、倍の輝き。何年ぶりかしらねえ、と一同ため息。
さて、箱から取り出した逸品は、普通のものが1束¥000であるのに比べて、1箱¥0000と桁が違う。が、みかけは細い。箱には「日本煙火協会」の「規格証」が付いている。それによると薬量 約0.1g(1本あたり)ということだ。
息を詰めて見守る花火は、かすかな炸裂音を立てて花開いた。直径数センチの花、2、3センチの花、これが次々に開いてゆくのだが、中心から15センチは離れたところで開く。普通の花火は火の玉の周りで花火になるから、ここが大きく違うところか。
最後の火の玉が枝垂れ桜のように、柳の葉のように、流れ落ちるところまで、息を詰めて見守った。箱の中には全部で20本。一人が4回。束の間の花の宴だった。

今夏のメダカ

5月から欠かさず世話をしてきたメダカたちは、立秋以降、落ち着きを取り戻した。産卵は峠を越え、春一番に生まれた子たちが成魚となった。
大人メダカたちは肥満体を持て余し気味にしながら穏やかに群れている。
単独でいるのは老齢メダカで、誰もいない隅っこの水面近くに漂い、流れてきた餌を欲しくもなさそうに口に入れてみたりしている。群れて泳ぐのは飽きた、という顔つきだ。
昨日は、子育て水槽で中学レベルに育った子メダカも合流させた、寒くなるまでに大人になってくれるだろう。
大人たちと一緒では、萎縮して育たないかな? と心配なメダカもいるが、むしろ背伸びするくらいの環境に入れてやった方が、勢いの良い丈夫なメダカに育ってゆく場合の方が、圧倒的に多い。
赤ちゃんメダカは5ミリ前後の微小な時から、この子は育つ、とはっきり見て取れる。姿ではない、動きである。
生まれた途端から、先祖返りしたメダカは黒く、ヒメダカは薄い色をしているし、活発な子は針の先ほどの時代から目立って活発だ。
たまに、背骨が湾曲しているような子も生まれるが、どうすることもできないから、皆と同じに育ててゆく。大きくなっても泳ぎは遅いが、仲間たちも本人(魚)も、障害に気づかず、違いも知らず無関心だ。
この子は泳ぎにくそうだな、と見つめているのは私だけだ。
雄メダカだが、ものすごい速さで突っ走る子が育った。目にも止まらない速さで1メートル以上、突進する。浮き餌を食べている群れの中に飛び込んで行く。
ぶつかったら危ないじゃないか。と案ずるがぶつかったことはないし、反応するメダカもいない。どこへ行こうという気もないらしく、ひたすら玉突きの玉のような暴走をくりかえす。
周りのメダカたちは迷惑だろうな、とハラハラするのは私だけだ。
法師蝉の声だ、飛び交っていたシオカラトンボたちはどこへ行ってしまったのか。夏が仕舞いに近づいた。

続・不甲斐ない奴

展覧会に限らない、合法的態度を基本とした上でのことだが、自分自身が思案の末に行う方針は、堂々、晴れ晴れとした精神と態度で貫徹するのが良い。
私の場合は文芸個人誌を定期刊行しており、基本的に自分の作品だけを掲載するけれども、時には依頼して原稿をいただくことがあり、また掲載希望の方もいられる。
大歓迎だが内容を拝見した上で、諾否を決めている。基準は、完全に私の好みであり、偏見そのものの線引きだ。たとえ、作者が汗水垂らして10年かけた作品だ、と言っても、私が嫌な時はダメである。
例を挙げると、卑猥な描写のあるものはダメ。顔見知りの個人を誹謗中傷するものもダメだ。もっとあるが、これは私自身の偏見そのものであります、という理由をもって断ることを方針としている。
名古屋だかどこだかの展覧会で、ギャアギャア賑やかなことだが、主催者の腹がすわっていれば問題はないでしょうに。
最近は、差別だなんだと、正義の大看板を背負ったような物言いがはびこり、それに屈従する組織なども出て、不甲斐ないことだと思う。
たとえば私立大学で、男性の学生だけを入学させたいと考えが決まったならば、男の学校、と看板を出せばよろしい。女性だけを受け入れたければ、ウチは女子大です、とすればよろしかろう。
これは、差別とは全く関係のない、単なる好みであります。
伸び伸びと持論を持つことのできる社会と、差別のない社会は、車の両輪のようなものではないか。
だいたい、多くの日本人は自分の意見を口にせず、まずは周囲を見回し、他人の表情を伺い、流れを伺ってのちに無難な方へ決めようという、まことに情けない、主体性皆無の者共だ。

立秋

立秋とか彼岸、中秋の名月。
こんな節目の呼び方が好きだ。自然に添い、自然を愛で畏れ、常に自然に気持ちを寄せて暮らす生き方が良い。
35℃だって言うけど、もっとあったと思う、などと言い交わす昨日今日だが、それでも立秋という節目が嬉しい。
はっきりと日差しが斜めに傾いて、部屋へ差し込んできた、太陽の動きが目に見える。
5月から始めた座禅が、1日も欠かさず続いている。
実はお線香を一箱買ってしまい、これに500本のお線香が入っているのだ、一日も欠かさず日に一回座禅修行をしたとして5月から500日。
生きていたとして、の話だが、来年の立秋に、箱のお線香の残りは何本だろう?

メダカ熱死

昨日は暑かった。連日暑いが、特に暑かった。午前中から昼過ぎにかけて外出、帰りのバスの中で頭上から注がれる冷気にホッとしながら庭のメダカを案じた。
今年は子メダカのいる壺の周りに緑がなく、炎天にさらされているので日覆いをかけているのだが、覆いを忘れて出かけてしまったのだ。
玄関に入る前に壺に向かう、あ、ああーっ! 横倒しになった子メダカが浮いている。
指を入れたら水は、湯だった。38度前後と感じる。傍らの水槽の水を足して水温を下げようとしたが水槽の水も同じか、それ以上の高温だ。
水槽の水は水道水を紫外線にさらしてカルキ抜きをしているメダカ用の水だが使えないので生の水道水で水温を下げた。
幸い全滅には至らず、10%程度が犠牲になり、あとは助かった。小・中学生メダカたち、ごめんなさい。
壺茹でになってしまった。

8月6日

今日は8月6日。2、3日前からニュースで、広島平和記念資料館の展示方法を変えるという話題が出ていた。一新する理由は、若い世代に理解できるような展示方法にするためだという。
このニュースを見て思ったことは、それはそうだろう、あのとき10歳前後の子供だった世代が今、80歳半ばを超えているのだから、あれは遠い昔のこと、無理もないということだった。
今朝、googleに「8月6日」と入れて検索してみた。ヒットした順を挙げる。
一番目から花火大会・8月6日生まれの有名人・8月6日生まれ・星座・イベント・誕生花、と順に出てきて、一番最後に広島とあった。広島が最後で、その下はない。
こういうことなんだ。今日はどこで花火が打ち上げられるのかな、とgoogleの検索結果を見ている人たちの中に、最後に「広島」と出てるけど、これってなんなんだ? と思う人がいて不思議はない。
自分自身の記憶を辿ってみても、今の若者たちの感覚は不思議でもなんでもない。まして非難など出来るものではない。
太平洋戦争のことを大東亜戦争と言い習わしていた七十数年前、まだ本土が空襲に襲われる前、十分に戦時中ではあったが、子供たちにとっての戦争とは、海の向こうで兵隊さんがやっていること、という認識だった。
大人たちは、そうはいかない、息子は出征するわ、食料は配給制度でひもじくなるわ、何か喋ったら差し障るから黙るようになるわ。灰色の日々である。
こんな時期に祖母が日露戦争の時の話をしてくれた。戦争って恐ろしいんだよ。そう言って日露戦争の時に歌われた「戦友」という歌を歌ってくれた。悲しい旋律の、心に染み入る歌だった。
祖母の思いは私には届かず、お気に入りの歌の一つとなっただけだった。
これが戦争なんだ、と肌身に染みたのが東京山之手大空襲の夜のことで、それから約3ヶ月後の8月6日、広島に「新型爆弾投下」(当時は原子爆弾というものを知らなかった)が伝えられたとき初めて、目の前にないものを目に浮かべることができて、生々しい恐怖に包まれた。
じゃあ、どうしたもんだろう?
地球まるごとの歴史を学ぶ事だろう。一国の歴史を読んでも役に立たない、自国をかばうから。地球まるごと、古代から今現在までを知りましょう。

不甲斐ない奴

尊敬する芸術家、吉留 要さんの持論で、実行していたことがある。それは自分の作品の横に立ち、鑑賞する人と会話をすることだ。
吉留 要さんは、日本国内での知名度はないが、世界規模で評価されてきた抽象画家、つい先ごろ亡くなられたが、折につけて立ち上がる彼の言葉は、今も吉留さんが生き続けていることを証明している。
自分が創った作品の横に立ち、鑑賞してくれる人の感想を生で受け取り、その場で応えることができる、こんな素晴らしい交流は望めないことだ。
だって、ピカソの作品「ゲルニカ」の前に立ち、横に佇むピカソさんと話し合うなんて不可能なのだ、現役の作家の作品に限り可能な宝物の時間だと思う。
吉留さんがニューヨークで開いた個展の会場で、超大型画面の抽象画を鑑賞していた人から、この絵の、この部分が気に入った、ここだけ切り取って売ってくれ、と言われたそうだ。
先ごろ国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、企画展「表現の不自由展・その後」の中止が決まった。企画を立ててから企画展が開かれるまでの間に、素人じゃあるまいし見通しが付いていたろうに。
で、開催してから3日坊主、謝罪して逃げ出すとは、なんと不甲斐ない奴だろう! ああ、みっともない。意気地なし!
なぜ、会場で罵声を浴び続け、袋叩きを受け続けようとしなかったのだ? テロが恐ろしい? 迷惑がかかる? そんなの、言い訳にしか聞こえないわ。
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