文房 夢類
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8月6日

今日は8月6日。2、3日前からニュースで、広島平和記念資料館の展示方法を変えるという話題が出ていた。一新する理由は、若い世代に理解できるような展示方法にするためだという。
このニュースを見て思ったことは、それはそうだろう、あのとき10歳前後の子供だった世代が今、80歳半ばを超えているのだから、あれは遠い昔のこと、無理もないということだった。
今朝、googleに「8月6日」と入れて検索してみた。ヒットした順を挙げる。
一番目から花火大会・8月6日生まれの有名人・8月6日生まれ・星座・イベント・誕生花、と順に出てきて、一番最後に広島とあった。広島が最後で、その下はない。
こういうことなんだ。今日はどこで花火が打ち上げられるのかな、とgoogleの検索結果を見ている人たちの中に、最後に「広島」と出てるけど、これってなんなんだ? と思う人がいて不思議はない。
自分自身の記憶を辿ってみても、今の若者たちの感覚は不思議でもなんでもない。まして非難など出来るものではない。
太平洋戦争のことを大東亜戦争と言い習わしていた七十数年前、まだ本土が空襲に襲われる前、十分に戦時中ではあったが、子供たちにとっての戦争とは、海の向こうで兵隊さんがやっていること、という認識だった。
大人たちは、そうはいかない、息子は出征するわ、食料は配給制度でひもじくなるわ、何か喋ったら差し障るから黙るようになるわ。灰色の日々である。
こんな時期に祖母が日露戦争の時の話をしてくれた。戦争って恐ろしいんだよ。そう言って日露戦争の時に歌われた「戦友」という歌を歌ってくれた。悲しい旋律の、心に染み入る歌だった。
祖母の思いは私には届かず、お気に入りの歌の一つとなっただけだった。
これが戦争なんだ、と肌身に染みたのが東京山之手大空襲の夜のことで、それから約3ヶ月後の8月6日、広島に「新型爆弾投下」(当時は原子爆弾というものを知らなかった)が伝えられたとき初めて、目の前にないものを目に浮かべることができて、生々しい恐怖に包まれた。
じゃあ、どうしたもんだろう?
地球まるごとの歴史を学ぶ事だろう。一国の歴史を読んでも役に立たない、自国をかばうから。地球まるごと、古代から今現在までを知りましょう。
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