文房 夢類
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オスプレイ

昨日の夕方、富士と散歩していた。毎朝、毎夕の行事になっている散歩に出るのだが、玄関のドアを出たところで寝転んだり伏せたりしている、それだけのことだから、まったく運動にはならない。散歩とも言えない。私も所在なく階段に腰を下ろしているが、富士の大好きな時間だ。そこへ、ヘリコプターが飛んできた。生まれて初めてみるヘリに、富士は丸い目を見張った。ところが更なる轟音が続き、あらわれたのがオスプレイだった。やや。本物のオスプレイだ! 生まれてはじめて見た私は、良いの悪いのを超越して目を見張った。二つのプロペラを水平に回していた。たぶん厚木へ向かうのだろう。難しい事だけれど、世の中、ハイかイイエか、はっきりしなければいけないときがある。ほんちょっとだけ、とか、今回だけは、というのは欺瞞だ。いつも私は「瓜子姫」の物語を思う。
ただ、政治家たちは、本人の内部では、ハイであるが、国民に対してイイエと表現してみせることがある。その上で例外を設定する。やがて政治家の思う壺となり、例外が常態となるのだ。ここで一句 茹で蛙 瓜子姫子の婿になり

旅にいる

十日後には、久しぶりの飛行機に乗っているだろう。二度の乗り換えの末に着く国は、ジャマイカである。地球の向こう側の島国。初めて出会うカリブ海。行きは友達と一緒だが、帰りはひとりで帰る。ツアーではない。すでに旅にいる私は、身体は自宅に置いているが、心は家を離れている。離れた所から現実の家を見ていて、ひとりで留守居をする富士を見守り、庭のメダカたちのサバイバルを見守る。富士は箱形のトイレを10個並べて貰い、細く出し続ける水道水を飲み、万一予定を外れて帰宅が遅れた場合を考慮して用意された1ヶ月分以上の食料を、彼女自身の判断で、毎日少しずつ食べ繋がなければならない。猫の師匠でもある友人は、知恵を出してくれつつ、実は、ハラハラとして見守っている。1歳児の富士が耐えられるだろうか。見に行ってあげる、と言ってくれる。別の友達は、娘夫婦が旅行中で、そのあいだ、朝夕、娘の家へ通い、猫の世話をしている。あと何日、と娘の帰りを待ちわびているが、活発な猫たちは上機嫌であるらしい。
私は言う、ペットホテルで過ごす猫もいるけど、私と暮らすという運命を背負った富士は、ほかの猫がしない経験をすることになるのよ。
4匹のメダカから生まれた子メダカは、およそ200尾はいる。固形の餌を沈めて置くから飢えることはないが、台風の季節であるから豪雨に襲われる可能性がある。雨水の下水管へ流れ出てしまうかもしれない。しかしメダカは、流れに逆らって泳ぐ習性を持っているので、力比べになるだろう。この力比べに勝利すれば、冬越しなどは楽にできるはずだ。旅にいる私は、すでに家にはいない、旅行先にも、まだ着いていない。

立秋

思っても見なかったことを、いましている。それは、朝夕の猫の散歩。子猫の富士は、1歳3ヶ月になって、体重も5キロ近い。朝5時過ぎと、夕方6時過ぎに散歩に出る。ハルターをつけてやり、玄関ドアを開く。が、富士は踏み出そうとはしない。首を伸ばして外をうかがっている。誰もいない、怖いものはなさそう、大丈夫だ、と見とどけて始めてポーチに踏み出す。用心深い。道路に出るまで、数分を費やす。安全確認をしている風に見えるが、単なる猫の習性で、用心深いのだろう。
犬とのつきあいに慣れていた私は、猫も犬と同じように散歩を好むものだと、頭から思い込んでいたので、一緒に家の近所を一回りするつもりで表に出たが、自宅のドア前から動きたがらず、伏せたり寝そべったりしている。犬は、前を見て先へ先へと勢いよく歩くが、猫は、全く違う動きをするのだ、ということを始めて知った。猫は振り向く。鳥の動きを追って上を見る。虫1匹の動きに目を奪われて追う。犬や人を認めて恐れると、身体を小さくまとめて伏せる。隠れているつもりらしい。うっかりして隠れる前に出会ってしまったときは、体中の毛を逆立てて、つま先立ちをして身体を弓なりに大きく見せて威嚇する。
富士につきあって玄関前にいた夕方、地虫の鳴く声を聞いた。この夏、始めて聞く草むらの虫の声だった。昨日に引き続き、今日も36℃に上がった猛暑にもかかわらず、夕方の草むらには秋が生まれていた。なんと、今日は立秋ではないか。気がついて嬉しい。立秋の夕に、はじめて虫の声を聞いた。

報道の責任

朝日新聞が慰安婦問題について、長い間報道を続けてきた、その内容について、事実関係に誤りがあった、と白状した。「虚偽であったと判断し、記事を取り消す」という。「裏付け取材が不十分だった」という。いわゆる「慰安婦問題」は、この朝日新聞の記事が発端だった。万死に値する行いだ。
石破幹事長が「非常な驚きを持って受け止めている。
裏付けの取れない記事を、なぜ今日まで正しいとしてきたのか。多くの人々がこの報道を前提に、いろいろ議論してきた。取り消された報道に基づいて生じた関係の悪化、怒りや悲しみや苦しみを氷解させるために必要なら、議会がその責任を果たすのはあり得ることだ」と語ったというが、その通りだと思う。推測だが、朝日新聞は自発的に白状したとは思えない。この問題の土台に信憑性がないことを、あらゆる言い方で、多くの言論人が書いてきた、切羽詰まったに違いない。あの、珊瑚事件(自ら珊瑚に傷をつけ、あたかも悪者がやったことを朝日の記者が発見したかのように報道した)以来、いやそれ以前からだろう、朝日の根性は腐りきっており、自浄作用はなかった。天声人語などと洒落臭いことを述べ立てて反省の気配もない。この際、言い訳は聞きたくもない。店を畳んでくれ。

水場

夏真っ盛り。今日から8月です。人間の家々でひしめく隙間に、野生生物たちの水場があります。そうした水場が私の家にもある。ひとつは、元梅干しを漬けていた常滑焼の壷。ひとつは、わが壷猫が入っていた壷で、韓国から漬物を運んできたと聞いている壷。まだあって、雨樋の下の雨水用水槽など。これらの水場に集まる野生生物たちの種類は豊富です。もっとも逞しいのがボウフラと呼ばれる蚊の幼虫で、唯一のお邪魔虫です。トンボが産卵にくる。チョウチョが水を飲みに来る。アシナガバチも水を飲みに来ます。今年は、アマゾンフロッグビットという浮草を入れたので、虫たちは大喜びです。というのは水を飲みたくても水辺に足を置く場所がないと飲めません。浮草の葉に降りて、ゆっくりと水を飲みます。ハチを見つけると、とっさに「刺される」と緊張して、手で払いのけようとしたり、大慌てで逃げたりする人がいますが、そういう人に限って追いかけられて刺されるものと決まっています。猫も水を飲みに来ますが、鼻先を飛ぶハチは刺しません。それは急激な動きをしないからです。突然の急激な動きは、ハチにとって攻撃行動と認識されますから、防衛に立ち上がるのです。ハチがいたら刺されると思え、とスプレー缶を振り回すヒトは、観察をしようともせずに、伝え聞いた情報、確かめることもせずに信じ込んだ偽情報をもとに、罪もない生き物を殺す、愚かで残酷な生物です。ヒト以外の水場の生物たちは、ほんとうに穏やかに共存しています。
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