文房 夢類
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続・不甲斐ない奴

展覧会に限らない、合法的態度を基本とした上でのことだが、自分自身が思案の末に行う方針は、堂々、晴れ晴れとした精神と態度で貫徹するのが良い。
私の場合は文芸個人誌を定期刊行しており、基本的に自分の作品だけを掲載するけれども、時には依頼して原稿をいただくことがあり、また掲載希望の方もいられる。
大歓迎だが内容を拝見した上で、諾否を決めている。基準は、完全に私の好みであり、偏見そのものの線引きだ。たとえ、作者が汗水垂らして10年かけた作品だ、と言っても、私が嫌な時はダメである。
例を挙げると、卑猥な描写のあるものはダメ。顔見知りの個人を誹謗中傷するものもダメだ。もっとあるが、これは私自身の偏見そのものであります、という理由をもって断ることを方針としている。
名古屋だかどこだかの展覧会で、ギャアギャア賑やかなことだが、主催者の腹がすわっていれば問題はないでしょうに。
最近は、差別だなんだと、正義の大看板を背負ったような物言いがはびこり、それに屈従する組織なども出て、不甲斐ないことだと思う。
たとえば私立大学で、男性の学生だけを入学させたいと考えが決まったならば、男の学校、と看板を出せばよろしい。女性だけを受け入れたければ、ウチは女子大です、とすればよろしかろう。
これは、差別とは全く関係のない、単なる好みであります。
伸び伸びと持論を持つことのできる社会と、差別のない社会は、車の両輪のようなものではないか。
だいたい、多くの日本人は自分の意見を口にせず、まずは周囲を見回し、他人の表情を伺い、流れを伺ってのちに無難な方へ決めようという、まことに情けない、主体性皆無の者共だ。

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