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Jan 2016

檸檬

1月が終わる、2月がくる、春が近づく。
爽やかな話題をひとつ。
檸檬を送って頂いた。枝葉のついた、新鮮な大きなレモンふたつ。送ったくださった方の庭に実ったレモン。一緒に名も知れぬ大玉ミカンもあり、ミカンの大樹の写真が添えられていた。夏みかんではない、温州ミカンではない。何ミカンかしら?
レモンは大好きだけれど、私が使うレモンには浅緑色のスタンプが押してあり、それはカリフォルニアから運ばれてきた印なのだ。広島でレモンが獲れるとは聞いていたが見たこともなく、国産レモンを手にしたのは、これがはじめてだ。送り主の住所は、まさに広島の近くである。
写真を撮ったのでご覧に入れます。よく私を理解している方である故、これはレモンですよ、と札をつけてくださった、それも見えるように撮影しました。
DSC00406_2 
漢字二文字の檸檬から、梶井基次郎の『檸檬』が浮かび、ついで昔話「わらしべ長者」に出てくるミカンを思った。
観音様に願掛けをした貧乏男が、1本のワラから始まり、次々に物々交換をして長者になる話。その途中で、ミカンを手に入れた男が、喉が渇いている商人にミカンをあげて、お礼に商品の反物を貰うという件に出てくるミカンである。
子どもの頃に読んだこの物語を私は、いつしか勝手に変形して抱えてきた。それは、旅の途にあるお姫さまが、道ばたの木の根方に座り込んでいる。喉が渇いて動けなくなったのだ。そこへ丸々とした輝くミカンを差し出した男がいた。お姫さまはミカンで生き返った。勿論、私の物語は、お姫さまと男のめでたしめでたしだったが、大事な点は、水ではなく、ミカンがノドの渇きを潤したことだったのだ。ミカン連想はさらに続き、空海が嵯峨天皇に橘の実を献じた、その光景に飛ぶ。嵯峨天皇を友達扱いにしていた空海。それを喜ぶ嵯峨帝。空海は、いまで言う「ため口」をきいたに違いない。審美眼にすぐれた嵯峨の帝が、黄金の輝きをみせる果実を愛でるありさまが目に浮かぶ。
このところ、潤いが足りなかったんだ、と檸檬を掌に受けて気がついた。

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何が起きているのか

「キャスター降板 何が起きているのか」とは、2016年1月23日東京新聞の社説の題である。放送の世界で何が起きているのか、という意味だ。4月10月が区切りの時期であるため、3月が締めくくりの月であり、今度の3月末で、TBS「NEWS23」のアンカー、岸井成格さん、NHK「クローズアップ現代」のキャスター国谷裕子さんが降板すると言われ、TV朝日「報道ステーション」のキャスター、古館伊知郎さんの降板が決まった。
 東京新聞の社説はこう書いている。要所を拾うと以下のごとし。
 相次ぐ降板報道が、さまざまな憶測を呼んでいる。政権に批判的だったからではという風評もある。政治報道の番組はストレートなニュースが中心で、解説や評論が減ったという声もある。政治そのものが扱われなくなったという声も聞かれる。事実ならば自由闊達であるべき放送ジャーナリズムの衰退である。
 そもそもNHK会長人事が「首相のお友達を据えた」と言われた。一昨年末の衆院選挙の時は、自民党が在京各局に「公平中立、公正の確保」を求める文書を出したし、昨年にも任意にせよ、TV朝日とNHKの幹部から事情聴取している。権力の動きもまた目立っているからだ。
 同法一条の「不偏不党」の言葉の意味は、言い換えれば「自立」か「独立」である。それを保証するのは公権力の側である。「政治的に公平」という言葉も、自由であるからこそ、自立的に公平さを保ってほしいという倫理規定にほかならない。権力から離れ、自らの掲げた理想を目指し、自らの理性に従って権力を監視するのである。テレビが政治的に元気でないと、この国の民主主義も元気に育たない。
 引用は以上だが、東京新聞が指摘した3人のほかにも、何人かが画面から消されたと思っている。古館伊知郎さんについては、元来が実況の人であり、本質がノンポリの人と感じているので範囲外だと思っているが。
 自主規制が進む中で、それに逆らい、声を上げ続ける人物が干される。これを「風評もある」と表現する東京新聞だが、放送業界のみならず、新聞もまた自主規制に余念がない。バス事故のような事件は執拗に掘り下げる各社が、政治方面となると、シラーッとした書きようで目立たぬように流すではないか? これも風評だろうか? 
 さらに言うと、産経・読売・日経は不動の立場だから論外として、朝日・毎日などが素直な坊ちゃんめいて自主規制、ただ一社、踏みこたえているのが東京新聞ではないか? そして東京新聞は、大手企業の広告が取りにくい状況に追い込まれて経営が苦しいと聞くが、これも風評だろうか?
 よろしい。風評であるならば、風評を風媒花として世間の風にのせて運ぼう。もしも実のある種であったならば、種が落ちたところで発芽し、花開き、実を結ぶだろう。 
 

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歴博と民博

久しぶりに歴博に行った。国立歴史民俗博物館は千葉県佐倉市にある。東の歴博、西の民博と言われ、民博、国立民族学博物館は、大阪の吹田市にある。歴博は古代に重心が置かれ、民博は近現代といわれるが、両館ともに、古代から現代までを網羅している。
いま歴博で
蠣崎波響(かきざき・はきょう)の描いたアイヌの肖像画を展示していて、これがフランス・ブザンソン美術考古博物館から来ているので、この機会をとらえた。松前藩の家老でもあった蠣崎波響が描いたアイヌの酋長たちの肖像画がフランスの博物館まで行き着いた道筋を想像しつつ、オリジナルを観たが、良い環境で観られた。
この感想は後のこととして、歴博は年々ジオラマが発達し、見応えのある展示があった。箸墓古墳のジオラマもあり、なかでも三内丸山遺跡の復元家屋のジオラマは興味深かった。ありがたいことに、私用に限るが撮影も可能なので、たくさん撮影した。25分の1の縮尺だから、手元の画像を拡大して観察することができる。ジオラマを制作した研究者たちが、どのように解釈して復元しているかがわかる。竪穴住居の屋根と穴の周辺の造りの関係が注目点だったが、おおむね同感できたものの、私見あり、興味は尽きない。
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年の始めに

2016年が始まりました。この年に共に歩む文字を「勇」にしようと半年ほど前から決めていました。
なんで「勇」か。それは私が弱虫人間で、万事につけて引っ込み思案、消極的。強い力に対して立ち向かうことができないたちなので、せめてこの勇気の勇、強力な力の塊のような文字を抱いて進んだら、安全保障関連法案、特定秘密保護法などを強行に制定、推し進めてゆく相手に抵抗できるのではないか、そう考えたからです。
私には幼い時代に身についてしまった先入観が数多くあり、この偏見を洗い落とすという面倒な作業がついて回りました。そのひとつが権力に対する恐怖でした。たとえば戦時中に戦争反対を口にすれば、それは命に関わる危険を孕んでいましたから、単なる妄想ではなかったのでしたが。
政府は、折角自由に発言できる世になったのに、逆行するかのような法的規制をかけ始めました。言論の自由こそ、社会が呼吸する空気です。これを制限されたとき、社会は健康を損ないます。
勇気とは、いさましい意気、物に恐れない気概をいいます。私は、勇気を持って思うところを書いていこうと思いました。

さて、男性的な字だなあ、男という字が主体なのだからと思い込んでいましたが、男という字に含まれる田は、田んぼだし、力という字は耒(すき)をあらわす、これは農具ですから、男という字自体に「いさましい」とか「物に恐れない」という意味はないのでした。また、勇から力を外した部分は、甬であり、これは筒型の容器をあらわします。となると、いったいどこから勇ましさが生まれたのでしょう。この字の、どこを探しても勇猛、勇敢、勇気などの気配はありません。
これは困った、もっと力強い字を探さなくちゃ。でもやっぱり、この字を掲げていこうと決めました。ほんとうの力強さがここに組み合わさってあるのではないか。地についた地味な暮らし、毎日の平凡な営み、人の基本となる協力、いろんなものが見えてきます。これを守り育て、なんとしても手放さないことが、ほんとうの勇気なんだ、と思い直した元日です。
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