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Jun 2018

劣化一筋の政治家

今月26日のこと、自民党の二階俊博幹事長は、東京都内で行われた政治評論家との対談で、少子化問題について次のような発言をした。
「戦中、戦後の食うや食わずの時代も、子どもを産んだら大変だから産まないようにしようと言った人はいない。この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないか、誇れるんじゃないかと勝手なことを自分で考える(人がいる)」。
また、生活水準についても「食べるに困るようなうちは今はない。こんな素晴らしい幸せな国はない」と指摘した。
私は手製のうちわを使っている。これに、発憤忘食 楽以忘憂 不知老之将至 と下手くそな筆で書いた。これは論語の中の一節で、疑問に思うことがあったら寝食を忘れて研究するがよい、というような意味なのだろうが、私の解釈は、まことに自分本位なものであり、立腹すると食事どきになったことにも気づかない、という意味にとっている。何気ない一言に立腹するのである。カンカンに腹が立ってしまうのである。今、二階幹事長に腹を立てていて収まらない。
二階幹事長の女性観について云々の問題ではない。彼の、この発言はジェンダーのフィールドで批判が出るかもしれないが、私の立腹はそこにはない。男女格差の問題では、二階幹事長が何をほざこうが、それ以前に日本は、144ヶ国のなかで114位というランクに位置しているのだ。何がって、男女格差のレベルが、である。G7(主要7国)の中では今年もまた最下位だ。この数字は「世界経済フォーラム」の今年度の報告書による。
二階幹事長の発言から滲み出るもの、それは彼の無知、不勉強だ。政治家の風上にも置けない。それどころではない、人として認めるわけにもいかんのである。
戦中、大日本帝国の政府は、国民に命令したのだ、母たちよ、産めよ、増やせよ。多産の母は褒められた。いったい何のために、こんなキャンペーンを張ったか? 国のため、とかいうもの。二階幹事長が抱く欲望と、そっくり同じものだ。
当時、東京都で生活していた私は、どれほどの食糧難だったか、ひもじい思いをしていたかが骨身にしみている。女たちは、ひもじくて瘦せおとろえていても、その自分の体を損なっても、子を産んだ。産まざるをえなかったのだ、なぜなら人為的に妊娠を左右できなかったのだから。今時代は「子を作る」という言い方をするが、当時は恵まれるものであり、成り行きに任せるしかなかった。どれほど子を望んでも恵まれない場合も多い。欲しいのに生まれない人を石女(うまずめ)と呼び捨てて、これを離婚の原因とすることが社会に通用した。身体に不安を抱える人にとって、妊娠は命に関わる恐怖であった。もう、欲しくないと悲鳴をあげても、次々に生まれてしまうのを、どうすることもできなかったのだ。
二階幹事長は、ついこの間の、このことさえも知らないのか? 学ばなかったのか? 忘れたのか? つまりは他人事なんだろう。そうでなければ、これほど無知蒙昧な勝手なことをほざけるわけがない。
今時代に、子を作れないと言っている人は多い。それは自分自身の老後さえも、先細りの年金を思い、今の政治状態を眺めれば危うくて心細くてたまらないのだ。一昔前は、貧乏人の子沢山と言って、経済的に苦しい家庭ほど子を頼りにした。子を働かせるからであった。しかし今は、AIに取って替わられてしまう職種がどんどん増えるのである。子を沢山産んでも、親の口を潤してはくれないのである。いったい政治家は何を考えているのだろう。
もう一つ、「食べるに困るようなうちはない」と二階幹事長は言った。子供の貧困率を、日本の現状を、どう捉えているのだろう。上野公園の一角で、なんと大勢の人々がその日、一回のゴハンを待っていることか。たがいに言葉をかわすこともなく、ひっそりと集まり来たり、草地に尻を下ろして膝を抱える、慈善団体の車が来るのを根気よく待つのである。イエス様の教えを我慢強く聞く、その後に配られる食物のために。私は腹が立って仕方がない。何か楽以忘憂の種を見つけなければ身がもたない。
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7月23日

7月23日、沖縄の慰霊の日。太平洋戦争末期の地上戦で犠牲となった人々を悼む日。平和記念公園で開かれた沖縄全戦歿者追悼式のスピーチを、今年は格別の思いで聞いた。
先月のことだったが、長年お付き合いをいただいている桑原重美氏から、沖縄の学童疎開当時を取材、制作、NHKで放映された氏の作品をDVDに変換してお贈りいただいたことから、当時の沖縄の学童たちについての資料を読み続けていたからだった。桑原氏は、私と同時代の方であるから現在はNHKを退職されて独自の活動に専念されているカメラマンで、執筆された著書も多い。対象との対峙の姿勢など学ぶところが尽きない。戦争末期の学童疎開は、私自身の経験と重なることから他人事とは感じられない出来事だ、沖縄の当時の様相に分け入るにつれて万感の思いが湧き溢れて言葉を失う。
この日の翁長沖縄県知事は、ステージ2の膵臓癌で闘病中のところを「平和宣言」で力を込めて言葉を渡してくれた。70年間が折りたたまれて今現在の平和公園に在るかのような思いが流れる。術後の知事の衰えた姿に衝撃を受けたが、またそれゆえに強靭な精神、沖縄への熱い愛を受け取り心底感動した。さらに続いて港川中学校3年生の相良倫子さんが「私は、生きている」という自作の詩を謳った。長い詩を、はっきりと顔を上げて朗唱したので、朗読したのではない。
やがて安倍晋三の出番となって壇上で言葉を発したが、紙に目を落として読み続け、たまに顔を上げるが一節を記憶でききれないので、ほとんど読み上げる格好になってしまう。自分自身の中から生まれた文章ではないから、機械的に口を動かしているのである。このような式典で彼が読み上げるものは、仄聞するに例年のパターンが出来ており、幾つかの語を入れ替える程度だという。しかもルビ付だという。言葉は、言外の性根までも伝えてしまう。
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猫の液状化

2017年のイグノーベル賞で、日本のチャタテムシ研究の専門家、北大の吉澤和徳准教授が生物学賞を受賞したニュースに、天地逆転の感を深くした。ムシのメスがオス、オスがメスの形をしているのを発見したというのである。わが家の庭に自生している浦島草、これが雌雄異株なのだが、時に雌株が雄に、雄株が雌に性転換することを知り、世の中わからないものだなあと慨嘆していた矢先であったので興味津々だ。他の受賞研究も見よう、まさに不確実性の時代ではないか。
2017年度物理学賞を受賞したのはフランス、パリ第7大学のマーク・アントワン・ファルダン先生で、受賞研究は流体動力学を使い、猫は固体であると同時に液体であるという説で受賞。多数の証拠写真は段ボール箱をはじめ、ガラス瓶、丼など様々な小さな器に収まっている猫たちだ。
これはまさに猫の液状化現象を捉えたもので、猫は、人の手によって押し込まれたのではない、自分から進んで入り込み、器の形に従い水のごとく収まっているのである。
さて話はここからで、猫の液状化現象は、器入りの姿は微笑ましいが、時に困ることもあるという、私と富士の場合だ。富士は犬のリードとハルターをつけて毎朝散歩をする。ところが気が小さい怖がり屋で、見慣れない大きな車や見知らぬ人が近づいたときなど、ほとんどパニック状態になってしまう。とにかく逃げ出して安全な我が家へ逃げ込みたい。この時につないでいるリードもハルターも、全く役に立たなくなってしまうのだ。あっという間に「縄抜け」して裸状態になり駈け去ってしまう。自己判断第一で私を無視して行動する。多分猫の持つ習性だろう、富士だけではなく、どの猫も似た行動をとるのではないか。犬のように人と気持ちを合わせてくれない。
忍者の「縄抜けの術」では関節を外すと聞くが、富士は一瞬のうちに(液状化して)抜け出してしまうのだ。じゃあ、普段の散歩の時のリードは一体なんなのよ、と思ってしまう。富士にしてみれば手をつないだ程度のことらしい。私は物理的に富士の体を確保できていると思い込んでいたが、このことから猫液状化は事実であると断言できます。


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