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Jan 2015

偶数月の15日

偶数月の15日とは何の日? そう、年金受給者が年金を受け取る日です。15日の午前中に、郵便局でも銀行でもいい、みてください。とても混んでいます。大勢並んでいます。あした出かけるついでにATMに寄ろうかな、では間に合わない。ぎりぎりの暮らし。若いときは遠くの大安売りに出かけていった体力も、いまはありません。一家4人、働き盛りの頃は、4人分千円で賄われた夕食も、たったひとりとなると4分の1の計算には乗りません。割高なのです。もうちょっと、かかってしまうのです。ひとり口は食えなくとも、二人口は食える、と言うでしょう。一人暮らしが増えて、一人ずつが年金で食べている。でも、我慢が習慣になっている世代ですから、文句は言いません。
日本人をつかまえて2億ドルを要求したと聞いて、それは何円? 240億円だそうだ、という話になった。安倍さんが中東地域支援で2億ドル出したから、という話になった。テレビを熱心に見ている高齢者たちは、そんなの見たことない、と口を揃えるが、活発に物忘れもするから強くは言えない。しかし、家族がひもじい思いをしているとき、つきあいに大金を出す家があるか、という話になったとき、そうだ、そうだ、の大合唱となった。年々歳々、年金同じからず、じわじわと減り続けているのだ。名目は、色々つけるが減らすのである。身内の乾いた雑巾をさらに絞り上げて、他国の「支援」をするとはどういう了見だ。税金を雑に使いすぎる。こういうときこそ「政治とカネ」について説明責任を果たして貰いたい。
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富士猫の話 #5 嗅覚

猫については、毎日が発見である。私の場合は、土台に犬がいるので、すべてについて犬との比較になる。ご飯を食べさせるとき、富士が匂いに鈍感なことを発見した。トレイに3つの容器を置く。一つがドライフード、一つが缶詰や手作りの生もの、最後の一つは水の容れ物。「猫缶」が大好きで、缶を持つ私の手に頭をすり寄せてくる。はい、どうぞ。食べる事が生き甲斐みたいによく食べるが、ときどきトレイにこぼす。慌てるからですよ。ほら、ここに落としたわよ。
ここで犬と猫の違いが出る。千早だったら、こっちよ、なんて言われる前に見つけて食べてしまう。富士は、わからない。まるで見えないかのようだ。でも、あるある、と嗅ぎ回り、ほんの数㎝先の1㎝角の魚片を見つけるのに手間取る。犬と猫の嗅覚はレベルが違う。千早と野に出ているときに高鼻を嗅ぐ、取る、というが、風の匂いを取っていることがあり、その様子は自然と一体化していた。遠くの風上にいる獲物の存在を察知して調べている姿だ。
富士は室内猫だから気の毒だが、ハルターをつけて表に連れ出すと、草の先に鼻先を添わせて、調べるような仕草をすることがある。塀の角でも「調べて」いる。こんな様子を見ると、相当鼻が利くなあ、と思う。というのは、そのような仕草の時は、目を開いてはいても、ほとんど見ていないからだ。
富士は待ち伏せ方法の狩りをする猫族であり、千早は追跡方法で狩りをする犬族だと気がついて、これは改めて猫勉強の必要があると思ったのが、ネコ本漁りの発端だった。
嗅覚について分かったことは、犬より劣る嗅覚ではあるが、猫は、二つの嗅覚器官を持っているということだった。第二の嗅覚器官は鋤鼻器官(じょびきかん・VNO)といって、上顎の門歯のすぐ裏から鼻孔まで続く管があり、この管の中に化学受容体が入っている。この管は0.25mmという細さで、猫が自発的に筋肉を使って匂いを送り込むときにだけ機能する。富士がスズメノカタビラの細い葉の匂いを取るとき、上唇を上げて前歯をむきだし、口を半開きにする、これこそ鋤鼻器官を使っているのだった。そこには、富士が会ったことのない猫の匂いがあるのだ。ヒトにはできない業であります。こんな優れた嗅覚器官を持っているのに、どうしてトレイにこぼしたご飯を見つけるのに手間取るのだろう。それは見えていないからだった。なんで? と私は身を乗り出して先を読む。猫の視力は30㎝以内に焦点を合わせられない。こうしたことは、ネコ本を読まなかったら分からなかった大切なことで、ほらここよ、見えないの? バカねえ、などとくりかえしていたかもしれないのだ。
つきあう相手の能力を知ることが、つきあいの第一歩なのだった。特徴を知ること。努力ではできない、持たない能力を知ること。まだまだ発見は続きそうだ。
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春よ来い

町中の暮らしで、身の回りに生き物がいること。これほど在りがたいことはない。とは言っても、我が儘、身勝手であるから、ゴキブリやダニは受けつけない。目をかけているのは、猫の富士、室内水槽のコリドラス1匹、庭の元梅干しの壷にいるメダカたち、それに自力で冬ごもりをしているヤモリとトカゲたち。3.11のとき、水槽の水が大揺れに揺れて60㎝の深さ一杯に入れてあった水が半分以下に減ってしまった、これを機会に今は20㎝ほどの水深にしてヒーターを取り外し、外気と同じ温度で我慢して貰っている。以前は家族一群となって住んでいたのが、たった1匹になって何年にもなる。寒かろう、とストーブに置いているヤカンの湯を入れてやる。同じ時間に同じ場所で湯が来るのを待っている。小さな眼を動かして私の動きを見ている。この孤老のために、春よ、早く来いと願ってしまう。メダカたちは深い壷の底に土を入れて、表面は砂にし、凹凸のある石を置いている。日差しのある日は現れて、氷の張る日は隠れている。居心地良くしているな、と見回ると満ち満ちた心地になる。
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新年2015年

1月1日という節目は、ありがたい。小分けにした7日の区切りも、ありがたい。私には、こうしたリズムがもたらす弾みが、生きてゆく上で必要なんだと思う。この波の上に自分自身の心身のリズムが乗っている。自分自身のうねりは、振り返るとき目に映るのであり、行く手は経験則には依らない。元旦に私がすることは、本年の漢字一文字を掲げることだ。ことしは「信」。この文字を「夢類」という小舟の舳先に括り付けて漕ぎ続けよう。
昨年は、個人誌夢類に古里同人誌の同人たちが集い来たり、それぞれの作品を書いてくれた、この有り難さを噛みしめている。また、思いも寄らぬことに塩見佐恵子という、尊敬し、愛してきた作家を失い茫然自失している。しかし不思議なことに、彼岸のこちら側に立つ私は、無限大に拡がっていたはずの三途の川幅が、細々とした流れ、ひとまたぎの小川に変わっていることに気付いた。旅だった彼女と私は、あまり離ればなれになってはいない。彼岸を見はるかすと、慕う師、親なども賑々しく見えるのであり、これこそ加齢の恵み、華麗なる饗宴だろう。
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