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Nov 2019

菊の季節

菊の季節がやってきた。台風で横倒しにされたままの姿で頭をもたげて咲いた小菊が笑っている。
「笑う」を「咲く」としても同じ顔。咲くも「わらう」と読める文字だから、今書いた一行を「頭をもたげて笑っている小菊が」としても同じ意味合いなのではないかしら。

昨日は神保町に行った。明治大学で開かれている公開講座の一つを聴講するためで、一コマ90分を50人前後の聴講者とともに教室で過ごした。
この5回シリーズの「神保町150年ものがたり」に出席している理由は、企画した講師の先生方と親しい先輩の身代わりなので、自分の希望で出席しているわけではない。
最前列に陣取っていると、後ろの席の女性が言った、目が悪いので、こうして前の席にいるんですよ。あら、私は耳なのよ。
高齢者の多い講座は、熱心さではない、必要性から席を選んでいる。
先輩は、出席したくてたまらないのだが、不如意な膝のために足止めを食らっているのである。

家を出る前に、というより早朝の座禅が終わり「みんな」に新しい水を捧げ、供花の水を取り替え手を合わせる、その時に伝える、
「今日は、どこそこに行きます。一緒に行きましょう」
日によっては「窓ガラスと網戸を綺麗にします。一緒に働きましょう」
目が不自由、耳が不自由。体が見えなくなったのも、不自由の一種。
あの世に去った人たちは、こっちが覚えていて話しかけ、相談事を持ちかけなどしている間は、共に生きている。
人たち、と書いたが実は、人間だけではない、犬も猫も、付き合った相手は皆一緒、分け隔ては一切ない。

駿河台に出て靖国通りを新宿へ向かって歩いた。俎橋を渡り、靖国神社を右手に九段坂を越える。
この先に新宿歴史博物館があるのだが、一口坂で16時を過ぎてしまい断念、市ヶ谷から地下鉄で帰宅した。
おかげで朝寝坊をして太陽が昇ってからの座禅となった。太陽は、驚くべき速さで南に移動しつつあった。
庭に出て小菊を手折り、部屋に招き入れる。金気を嫌う菊にハサミは使わない、手折られて菊は、かすかな香りとともに咲う。
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月の季節

荒天が続いたにもかかわらず月の姿の切れ味の良いことは格別で、三日月の凄みに触れることができた。
夜明け前の無風の2階庭で座禅。濃紺の天に光る星数が、この秋にきて確かに多い。
犬猫の加齢速度は、人間の年齢に換算すると、年に4歳年をとってゆく計算になるという。それは春夏秋冬それぞれに1歳ずつ年をとるということだ。
生後1年で人間の18歳と同じレベルになる猫、その後は人が年に1歳加齢するところを4歳年をとってゆく。
5歳半になった富士は、この計算で行くと人間の38歳ということになる。知識は増えて判断力もつき、身体は敏捷で柔軟、健康そのもので食べる楽しみに浸っている。
それでは人間は365日で必ず1歳加齢するのだろうか? 最近、そうじゃないような気がしている。
80歳台に乗ってから加齢に加速度がついてきたように感じている。この感覚は、果たして私だけのものだろうか。
1年に1歳ではなく、富士猫のように春に1歳、夏に1歳……。
生き物の測り方は、寿命に限らず、物差しや時計では間尺が合わないのでは?
今夜も明日も晴れるという、真夏の4時の暗さが、今の5時過ぎと同じだ、冬至の頃には6時過ぎて夜が明ける。
天体も生き物も、動き巡るゆえに安定していられる、独楽のように。
3年の寿命をもらっているメダカたちが命の循環を如実に見せてくれるお陰もあり、人の寿命も個人で完結するものではない循環の生命の一環だと実感できることはありがたい。
座禅の間は息に随うのみで思うことをしないが、日に一回でも座禅をすると、まるでパソコンに再起動をかけたように脳内に爽やかな風が吹き入り活性化する。
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