文房 夢類
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菊の季節

菊の季節がやってきた。台風で横倒しにされたままの姿で頭をもたげて咲いた小菊が笑っている。
「笑う」を「咲く」としても同じ顔。咲くも「わらう」と読める文字だから、今書いた一行を「頭をもたげて笑っている小菊が」としても同じ意味合いなのではないかしら。

昨日は神保町に行った。明治大学で開かれている公開講座の一つを聴講するためで、一コマ90分を50人前後の聴講者とともに教室で過ごした。
この5回シリーズの「神保町150年ものがたり」に出席している理由は、企画した講師の先生方と親しい先輩の身代わりなので、自分の希望で出席しているわけではない。
最前列に陣取っていると、後ろの席の女性が言った、目が悪いので、こうして前の席にいるんですよ。あら、私は耳なのよ。
高齢者の多い講座は、熱心さではない、必要性から席を選んでいる。
先輩は、出席したくてたまらないのだが、不如意な膝のために足止めを食らっているのである。

家を出る前に、というより早朝の座禅が終わり「みんな」に新しい水を捧げ、供花の水を取り替え手を合わせる、その時に伝える、
「今日は、どこそこに行きます。一緒に行きましょう」
日によっては「窓ガラスと網戸を綺麗にします。一緒に働きましょう」
目が不自由、耳が不自由。体が見えなくなったのも、不自由の一種。
あの世に去った人たちは、こっちが覚えていて話しかけ、相談事を持ちかけなどしている間は、共に生きている。
人たち、と書いたが実は、人間だけではない、犬も猫も、付き合った相手は皆一緒、分け隔ては一切ない。

駿河台に出て靖国通りを新宿へ向かって歩いた。俎橋を渡り、靖国神社を右手に九段坂を越える。
この先に新宿歴史博物館があるのだが、一口坂で16時を過ぎてしまい断念、市ヶ谷から地下鉄で帰宅した。
おかげで朝寝坊をして太陽が昇ってからの座禅となった。太陽は、驚くべき速さで南に移動しつつあった。
庭に出て小菊を手折り、部屋に招き入れる。金気を嫌う菊にハサミは使わない、手折られて菊は、かすかな香りとともに咲う。
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