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Jun 2016

子連れ仕事

乳幼児を連れて通勤、仕事をしている企業を紹介しているテレビニュースを見た。一見、中小企業の小企業にみえる小さな事務所だった。デスクのPCに向かって仕事をしている人たちの中に、赤ちゃんが眠っているカートを脇に引き寄せて、ときどき揺りかごのように動かしている若い女性がいた。こんど3人目が産まれるんです、と嬉しそうな女性もいた。この会社は、床にカーペットが敷いてあり、よちよち歩きの子がぶつからないようにと、デスクの角にクッションをつけている。続きの小部屋でおむつを替えるお母さん。
私は、すぐにジャマイカの図書館を思い出していた。デスクに向かうお母さんの膝に寄りかかって私を見上げていた坊や。母親のそばに子どもがいる、あたりまえでしょ、と私を見つめた受付の女性職員も思い出した。
世のすべて、でなくてよい。あちこちに、こんな仕事場があることを抱え込む社会が育つのは自然なことだと思った。
もうひとつ思い出したことがある。それは猟犬のことで、子を産んだ母犬は、猟に使えないという話。
猟犬には、勇猛果敢な雄犬よりも、慎重で、主人の命令によく従う雌犬が好まれるのだが、子持ちはダメだ、とこれは日本犬に詳しい柳沢琢郎さんからじかに伺ったことだ。赤ちゃんにたっぷりお乳を飲ませたのを見届けて猟に連れ出す。山道で次第にお乳が張ってくる。このとき一気に母の心に戻ってしまい、獲物の臭いなどはそっちのけ、主人の言葉も耳に入らず、一目散に山を駆け下りて子犬の所へ戻ってしまうのだそうだ。
狼の群では、繁殖を認められるのはαだけで、他の牡は一生独身である。この独身おじさんが狩りに出てゆく群の留守番をして、離乳した幼児の保育をする。上司の言うことに耳を貸さず、赤ちゃんに駆け寄る母犬、あっちにウロウロ、こっちにウロウロの幼児たちを怪我や外敵から守り、保育する狼のおじさんたち。いいなあ、と思う。一番大事なものを守ろうと動いている。
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雨の季節、茂る葉

昨日と今日は晴れて風もあり、気持ちも明るい。紫蘇の葉、春菊の葉、常緑樹の深緑の葉も、すべての葉が潤沢な水を抱えて光り輝いている。
葉がバンザイの形で太陽を向いているのは伸び盛りの葉たちで、ここに雨が降り注ぐと、雨水は葉から茎へ幹へと伝い流れて根元に集まる。
このようにして水を集めた草木が育ってゆくのだが、老木を見ると枝先が垂れ下がっている。杉の木を見るとよく分かるが、若木の葉先は空を指すが、老杉は地を指している。風格ある盆栽の姿だ。雨水は葉先から滴となり、幹からは遠い葉の先へ伝い落ちてゆく。相当量の雨が降っても、幹や根元は乾いているのである。葉先から広い範囲に撒かれた滴は、種や幼苗を潤す。自分の子もいるし、遠くの誰彼の種も芽を出している。
風格を重んじて盆栽スタイルをやっているわけではない、老いへ向かう自然の姿である。
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喋るカラス

先日、上野の博物館へ行った。最終日が迫ったので、切羽詰まってでかけた。
それは置いておいて、タイトルのカラスのことを伝えたい。博物館から噴水の前を通り抜けて西郷さんの銅像へ向かう道で、カラスが喋っているのを聞いた。カラスが九官鳥のように物まねをすることは聞いていたが、ほんとうに喋っているカラスに出会ったことはなかった、はじめてだった。
すっかり緑濃くなった樹々のなかから鳥の声がした。涼しげに、ル、ルルル……、と鳴いていたのはカラスだった。大声なので、なんかヘン、と見上げたのだ。カラスは一羽だけだ。やがてジェジェジェッ、と声色を変え、たちまち別の声を出す。レパートリーが豊富だ。ここまでは、車の音やサイレンなども真似すると聞いていたから驚かなかった。
しかしカラスは言ったのだ、こんばんは。綺麗な声だ。こんばんは、こんばんは!真っ昼間だから、ちょっとおかしいけれど大したものだった。カメラを向ける人を見下ろして声をかける。この通りは雑技の芸人さんが多い場所だから、真似して演じているのかもしれない。
博物館のお目当ては特別展「黄金のアフガニスタン」。
アフガニスタンは、不安定な国内情勢ゆえに文化財を破壊され、収蔵品を失うという苦難の道を辿ってきた。その歴史もつぶさに知ることのできる優れた展示だった。平山郁夫画伯の働きも改めて見ることができた。私は、ラピスラズリが目当てだったが、これは当てが外れ、トルコ石が金とともにふんだんに使われていた。やはり接してみないとわからない、文字を読むだけでは、自分の願望のほうへ想像を引き寄せてしまう、そのことに気づいた。この催しは表慶館で開かれ、普段は立ち入り禁止の上階へ入る事ができて、これは収穫だった。内側から見上げたドームの美しいこと。大正天皇ご成婚記念の建物。
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毎日発見する自分

春子(はるご)と呼ばれる、春に生まれた動物たち。身近なところでは犬や猫の子である。一昔前は野良犬の子も、野良猫の子も、人家の周辺で元気よく育っていたが、いまは犬は皆無だ。猫は、たまにいて見つけると大騒ぎになる。そんな猫たちや、メダカの子たちも梅雨時にもなれば、いっぱしの顔つきで活動している。我が家の庭ではヤゴが羽化してトンボになったが、彼らは飛び立った瞬間から次世代を残すことに全精力を傾けるのだ。
私は、このような生き物のなかに生きつつ、初体験が続く彼らとは対照的な自分発見をする。
去年の今頃私は、このバケツに満杯の水を難なく運んでいたっけ。それが出来ないという発見。暑くなってTシャツ姿になった、ふと二の腕を見たら、皺だらけに弛んでいた、この発見。部屋の掃除をしていたら、燦めく銀の糸を見つけた、あらまあ、これは自分の抜け毛だった。
毎日発見する驚きと感慨。
私は本を読む。というより人が刻んだ言葉を読み取ろうとする。精魂をこめて彫り物のように刻まれた言葉をみつけようとする。いままで道路の砂利のように踏み歩いていた石のひとつが宝石であった、この発見に感動する。時を経ると失うものはある、しかし時の力によって授かった力もまた、身についているのだった。
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ヤゴ続々

梅雨の晴れ間が続く。早朝、メダカの水を取り換えたら、柄杓の中にヤゴが入ってきた。真っ黒の太ったヤゴだ。まだいたんだ、とびっくりして雨水のマスに移してやった。さらに水をくみ出していたら続いて2匹現れた。そこで移すのを止めて羽化するときの助けになるよう、棒切れを入れた。これで這い上がれるでしょう。しかし、これだけ多数の太って元気なヤゴが育ったということは、潤沢な食べ物に恵まれたからにほかならない。自然界の命のやりとりに、私は手を加えるべきだろうか。
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ヤゴがトンボになった

庭の雨水のマスの縁に、初々しいトンボがつかまっていた。ヤゴからトンボになったばかりの麦わらトンボ。よかった、無事にトンボになりました。冬の間中、メダカと同居していたヤゴは、丸々と太って元気だった。メダカの棲む壷の縁が滑るので、水から上がれないだろうと心配して、先週のうちに雨水のマスへ移して置いた。若いトンボは、苔の生えている側面を伝って出てきてくれた。
黄色い胴体の麦わらトンボと、塩辛トンボと呼ばれる白い尾のトンボは同じ種類で、塩辛はオス、麦わらはメスだという。去年から、浅くて広いビオトープを作ってやろうと計画しているのが、まだ手をつけていない。急がなくては。
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