毎日発見する自分
13-06-16 09:14
春子(はるご)と呼ばれる、春に生まれた動物たち。身近なところでは犬や猫の子である。一昔前は野良犬の子も、野良猫の子も、人家の周辺で元気よく育っていたが、いまは犬は皆無だ。猫は、たまにいて見つけると大騒ぎになる。そんな猫たちや、メダカの子たちも梅雨時にもなれば、いっぱしの顔つきで活動している。我が家の庭ではヤゴが羽化してトンボになったが、彼らは飛び立った瞬間から次世代を残すことに全精力を傾けるのだ。
私は、このような生き物のなかに生きつつ、初体験が続く彼らとは対照的な自分発見をする。
去年の今頃私は、このバケツに満杯の水を難なく運んでいたっけ。それが出来ないという発見。暑くなってTシャツ姿になった、ふと二の腕を見たら、皺だらけに弛んでいた、この発見。部屋の掃除をしていたら、燦めく銀の糸を見つけた、あらまあ、これは自分の抜け毛だった。
毎日発見する驚きと感慨。
私は本を読む。というより人が刻んだ言葉を読み取ろうとする。精魂をこめて彫り物のように刻まれた言葉をみつけようとする。いままで道路の砂利のように踏み歩いていた石のひとつが宝石であった、この発見に感動する。時を経ると失うものはある、しかし時の力によって授かった力もまた、身についているのだった。
私は、このような生き物のなかに生きつつ、初体験が続く彼らとは対照的な自分発見をする。
去年の今頃私は、このバケツに満杯の水を難なく運んでいたっけ。それが出来ないという発見。暑くなってTシャツ姿になった、ふと二の腕を見たら、皺だらけに弛んでいた、この発見。部屋の掃除をしていたら、燦めく銀の糸を見つけた、あらまあ、これは自分の抜け毛だった。
毎日発見する驚きと感慨。
私は本を読む。というより人が刻んだ言葉を読み取ろうとする。精魂をこめて彫り物のように刻まれた言葉をみつけようとする。いままで道路の砂利のように踏み歩いていた石のひとつが宝石であった、この発見に感動する。時を経ると失うものはある、しかし時の力によって授かった力もまた、身についているのだった。