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Apr 2018

デモ

昨日、4月14日に、全国20ヶ所を超える場所でデモが行われた、と今朝のニュースで知った。安倍内閣を批判否定する集会。
ネットの動画を拡大して見つめた。青葉若葉に囲まれる背景は国会議事堂前である。主催者の発表によると、この場所だけで述べ5万人だという。
マイクを握る若者の発言が聞こえ、メディアのマイクに応える人の言葉もはっきりと伝わってきた。
この、臨場感溢れる画面が、なんとしたことだろう、みるみるモノクロに落ちてゆき、私は息を呑む。

モノクロ画面は、こげ茶色と灰色の大集団に変わり、かけ声が湧き出した。広場の地面は見えない。デモの集団で隙間もない。デモには指導者がいると見えて、そのかけ声に合わせて一斉に声をあげながら西口広場をうねり巡る。
そうだ、ここは国会議事堂前ではない、東京・新宿の西口広場だ。大ガードが見え、手前の青梅街道に都電が見えた。新宿〜荻窪間を走る都電だ。
私は、この路面電車に乗って家へ帰る途中で、中学生になってまだ一月余りの5月のことだった。
日本は「大日本帝国」から「日本」になって、というか戦争に負けて丸裸にされて、軍国主義から民主主義という、アメリカからもらったモノに変えられて、デモという新体験を試みていた。
当時の私は、プラカードという名前を知らなかったが、棒をつけた白い紙には吉田茂(今の麻生太郎の祖父)首相の似顔絵が墨で描かれていた。打倒!の文字だけの板も担がれて進む。
吉田茂とはワンマンと呼ばれた総理大臣で、神奈川の大磯に住んでおり、自宅から国会議事堂までの道路を優先的に整備し、弾丸道路と呼ばれる立派な道路を国の車で往復しているということを新聞で読んで知っていた。
うねり進む人々は男たちだった。彼らは統制がとれて隊列を作っていた。いったい私は、どこからこの光景を見つめていたのだろう。
赤坂見附の方角から終点の新宿まで都電できて、乗り換えるために大ガードまで歩いてきたのだが、70年後の今となっては、まるで宙に浮いて俯瞰していたかのような記憶である。
このデモの後、しばらくして行われた大掛かりなデモで、参加者の樺美智子さんが死んだ。驚いた、女性が参加していたことに心を打たれた。
この時の記憶では男性だけのデモで、皆灰色か茶色だった。大きな声で叫んでいたが、それはリーダーのかけ声に合わせた統制のとれた叫びだった。誰も彼もが無表情で、まっすぐ前か、下を向いていた。
当時の新宿西口は、差掛け小屋の闇店が並び、樹木はなかったから一面のモノクロ世界だったのだが、にもかかわらず熱気というか、憤懣というのか、不穏な圧力がこもる場所だった。
ただでさえ危ない空氣の西口で、この夕方、さらなる猛烈な熱気、気持ちの高揚を浴びた私は動けなくなってしまった。
1945年に戦争に負けた日本が民主主義の国に変わり2年目、封建的という言葉が石飛礫のように「古い人たち」に投げつけられていた時代だ、日本は新しくなる、という感激と高揚が中学一年生にまで及んでいた。
どれだけ見つめていたのだろう、帰宅した時は日が暮れており、家には怒り狂った父親が待ち構えており、脇目も振らずに下校しなかった私はさんざん叱られて泣き続けたのだった。

「戦争はいや」「安倍やめろ」「ウソをつくな」「なめんな」「恥を知れ」「昭恵出てこい」「安倍を倒せ」「集団自衛権法制化阻止」「改ざん内閣」「アベ政治を許さない」「さよなら晋三」「まともな政治を」「責任取れ」
まああ。「Don’t tell lies」「Your silence will not protect you」「REVEAL IT ALL」など英文もある。
これが、いま今日のデモの姿だ。
一番の衝撃は、一人ひとりが自分の意思で集まってきているということだ。年齢も様々。子供連れもいるし高齢者もいる。
最前列の横棒を握り、列を作ってうねる組織の人々ではなかった。みんなバラバラに、ワイワイと集まってきているのだった。
掲げるメッセージは大きさも色も、表現も多種多様、どれも自分たちの内側から湧き出してきた言葉に違いないと感じた。
胸がいっぱいになった。70年間は無駄に過ぎてこなかった。
「誠」という魂、「誠実」という土台が欠落している安倍晋三と以下同類の政治家たちは足踏みして進歩しないが、国民は一歩一歩と進んできたんだよ、この感激は感激だ。


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機転を利かせては如何

舞鶴市の市長さんが、大相撲の春巡業の土俵上で挨拶をしている最中に倒れた。病院へ搬送され、くも膜下出血とわかり手当をして一命を取り留めた。
大勢の人の注目を集めている最中の出来事で、素早い対応により助かり、めでたいことこのうえない。
高齢になって突然の発作に襲われるのが不安で仕方がない人は、一人歩きを避けた方が良いかもしれない。また、一人で歩くときは、散歩も含めて、人通りのある道を選ぶことも知恵の一つかもしれない。
発見すれば人は、反射的に助けようと気持ちが動くのが普通だと思う。人っ子一人いないところで倒れて発見されなかったらおしまいだ。
市長さんが倒れたときは、反射的に動いた人たちがいて、すごいことに、その中に看護師もいた。応急処置に抜かりはない。なんと心強いことだったろう。
笑ってしまうのが、看護師が女性であったために、土俵から降りて欲しいと行司さんが放送したとかで、女性差別と伝統をめぐり、さまざまな人たちが騒がしく意見を述べている今日この頃である。
若い行司さんだという話だから、言いつけ通りにするのは素直な反応で、責められる筋合いはないだろう。
もしも私が関係者だったら、専門職の人か否かで判別しました。え〜、あの方は女性だったのですか? そりゃ、気づきませんでしたと答えるだろう。
どうして土俵に上がった救援者を性別で区分けしてみたのだろう? 機転を利かせてはいかがでしょう。
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先輩はやっぱり先輩だ!

近所で建築中だった共同住宅が概ね完成した。隅から隅まで輝いている。富士と散歩に出たら、勘の良いマルオ、外猫のマルオがどこからともなく現れた。一緒に朝日が射す道路に立ったら、マルオが先に立って新築の建物に向かっていき、富士がマルオに続いた。
びっくりした。なぜかというと、怖がり屋の富士は知らない場所へ行くのは大嫌いで、無理に抱いて連れて行こうとすると、身をよじって腕からすり抜けて逃げてしまう。無理無理に抱きしめるとガタガタ震える。それが、どうしたことかマルオについて行くではないか。
マルオは真新しい建物の角、雨樋の根元などを巡り歩き、耳の後ろから首筋にかけて執拗にこすりつけては進む。ははあ、臭い付けをしているな? 新しい場所を自分のテリトリーにしようとしているんだ、と私は察して富士のリードを握ってついて行く。というのは、富士はマルオの仕草をそっくり真似て、同じことをしながらついて行くのだ。建物を回り、臭い付けが終わったマルオは駐車場に出ると、いきなり寝転がり、さらに四つ足を上に上げて身をよじり出した。続いてきた富士は並んで転がり、サル真似ではないネコ真似をしている。
マルオは、すでにテリトリーを確保していたのではないか。今朝は富士のために回ってくれたのではないか。マルオは何も知らない富士に、新しいテリトリーの確保をやって見せてくれたのだなあ、と思った。良い先輩に恵まれて富士は良かったね、と嬉しい。富士も、先輩の動きを見習う力を持っていたのだから立派だ。
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