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Jun 2020

これが自然界かと

昨夜来の雨が上がり、力のある朝日が射した。用意しておいた3個のバケツに雨水が溢れている。福島の空から運ばれてくる重苦しい黒灰色のわだかまりは、もうなくなっている。
この水は蒸留水と言っても良い、良い水なのでメダカの水槽の水に使うつもり。
ぱっと見た目にも、減ってしまった私の可愛い、大事なメダカたちだが、いいもんね、これから9月までに、どんどん卵を産んでもらうもんね。
緋メダカもたくさんいるけれど、原種に近いフナのような色のメダカたち。最近の豪華絢爛なメダカではないけれど、だからこそかけがえのない自然色のメダカたちだ。
それが、盗まれ続けていたのだ。あまりにもショックが大きすぎて、自分自身に伝えることもできなかった。
しかし今朝は、気を取り直している。イザナギも言い返したではないか、千人の命を奪うなら、われは千五百の産屋を建てよう。
大切な命を奪われた時の発想とは、これか、と体感した。怒りと悲しみを込めて、まず声に出したのが「どんどん生んでもらうもんね!」だった。

何があったか。
ざっと見たところ、タモでひとすくいしたら100や200は軽く入る程度に泳いでいた。浅いビオトープのメダカたちだ。
毎朝、ヤゴが這い出してトンボになって発って行く、小さな平和な場所だった。
ある朝、布袋草がコンクリートの上にあった。メダカは、この浮き草の根に産卵し、夜は根の間に入って眠る。
なんか、不穏な感じがした。多摩川の河川敷にアライグマがいる映像を見たばかりだ。金網で蓋を作った。アライグマは夜行性だから、夕方に蓋をした。
間もなくの朝、金網の上に糞があった。糞は犬猫の大きさと形状だが、金網の上とは犬猫の態度とは考えられない。
早速MAMAL FINDER というハンドブックを見た。これはアメリカの本で、動物の骨、足跡、糞などから種類を特定しようという少年少女向きのもの。
あった、ありました。まさしくラクーン、アライグマの糞であった。よかった、これで防げた。
しかし、メダカは減り続けた。なんで? と不安になる。また減っている。目に見えて減ってゆく。タモでひとすくいしたら10匹も入らないだろう。
わからない、金網で隅々まで覆ってあるからアライグマが手を出せるはずはなかった。朝、金網を外し、夕方に覆う日々が続いた。
おとといの夕、最後の餌やり時間だった、ビオトープの縁から一羽のカラスが、庭の真ん中へ向かって歩いてきた。マルオがいるのに? とマルオを見たら老齢の彼は眠っている。
で、カラスに目を転じた瞬間、息が止まった、カラスがくちばしを左右にしごいたのだ、手近の棒に。やられた、カラスだったか。
私はカラスと仲良くしていた時期があるので、くちばしをしごく動作が食後の身だしなみであることを知っている。
もう、許せなかった。だからと言って、カラスを吊るし首にするわけにもいかない。
昼間に金網を取り払っておいてやらないと、水際の虫たちが産卵できない。トンボたちには気の毒だけれど、昼間も金網をかぶせておくことにした。
ヤゴはメダカの天敵だが、両方いて欲しい。ボウフラの駆除にはメダカが欠かせない。う〜〜ん! 思わず唸ってしまう。
ヤゴ、メダカ、カラス、アライグマ、ボウフラ。そして私だって自然界の中の生き物なんだから。
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梅雨の朝

今朝も、ということは昨日の朝も、だったけれど、ヤゴがトンボになりました。石庭の天井にシートを張ったおかげもあり、濡れない場所で見事なトンボになり、飛び立つ気配はありません。
朝起きて庭を見渡し、変身したばかりのトンボが目に入る、そのままガラス戸をしめて邪魔をしないことにしている。
幸い、高齢猫のマルオは見向きもしませんから安全です。室内暮らしの富士は、私の1日が始まったと見るや、お腹すいたにゃあ! 
食べ終わる、トイレに行く。動きも、排泄も、健康だな、と確認してから、自分の朝食と進むのが順序。
ところが、わがままな富士猫は、散歩に出ようにゃあ、出たいにゃあ、早く出ようにゃあ、と追いかけて回り、足元に纏わりつく。
転んだら大変、抱き上げて玄関から出て表を見せました。フクロウみたいな目つきで雨脚を見つめている富士猫。
足元に下ろしてやったら、踵を返して家に入り、階段を駆け上がって行きました。お気に入りの場所で昼まで寝るつもりらしい。
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稲穂が芽を出した!

これから梅雨入りだという季節に、暮れの話題。年末近くなると酉の市が開かれる。私は新宿の花園神社の市に行くのだが、夜の混雑となると二の足を踏むようになった。最近の数年間はご無沙汰している。
酉の市では、まずお参りして、社務所でお札と一本の稲穂が付いている熊手を買う。何はともあれ、賑やかな酉の市の楽しみは、この後に始まるのだ。
この、稲穂が付いている小さな熊手を、お守りとして部屋に掲げている。今年5月の半ば過ぎに、この熊手たちを整理、稲穂を外して籾粒に分けた。これを蒔いたのである。
数年前の籾、10年以上前の籾。思いの外たくさんの粒が集まって、一列に蒔いた。
お札は神社に納めるのが普通の方法だが、それでは稲穂は焼かれてしまう。もしかして生きているか、と思って熊手とお札は焼き、稲は土に入れたのだ。
このコロナ禍の最中、湿った土から細い緑が一筋、立ち上がった。二本になった。二本の緑の針は、編棒くらいの太さになってきた。
私はシンクロナイズドスイミングの、華麗な演技を見ているような気持ちになった。湿った土の中の、大勢の稲籾が力をまとめて、代表者を空中に押し出したんだ、と思った。
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アベノマスクの配達

一昨日の夕方、例のマスクのパックが郵便受けに入っていた。思いつきで何百億円か費やして配ろうとしている、いわゆるアベノマスクだ。
誰が配達したかというと、郵便屋さんと呼び習わしている郵便配達員だ。
この際、言いたいことが3つある。
一つは、コロナ禍で各所に負担がかかっている時に、意味不明のマスクを配達させて郵便局に負担をかける政府の鈍感+残酷さを軽蔑するということ。
二つ目は、私の居住地域に隣接する郵便局内に感染者が出た時のことだ。局が閉鎖された。余波は周辺に及び、普通郵便の配達が遅滞した。初めのうちは22万通の滞留が、たちまち37万通も山積したのだった。
気の毒なことだ、誰しもいたわりの気持ちで見守った。
しかし急を要する通信が必要だった私と都内に住む仲間は窮余の策として速達便を使った。書留と速達便は、別扱いで配達してくれたからだった。
夢類制作の途中、速達便のお世話になって凌ぎ、助けられた。ありがたいことだった。
その後も配達状況は混乱し、荷重労働が続いていたに違いない、「いつもの時間」に配達ができず、夕方6時半を過ぎた頃になって郵便受けに入れてくれる、そういう日々が続いた。
労らなければいけないのだ、受ける一方で、要求する一方ではいけないのだ。過労は感染を呼ぶと思わないか? 配達員をいたわりたい思いが溢れた。
昨日今日になって、ようやく普段のリズムが戻ってきた。軌道に乗り始めたとしたら嬉しい、ホッとする。
三つ目は、コロナ騒動とは関わりのない、郵便配達員と受ける側の問題だ。
私の住んでいる地域は丘陵地帯で、道路から階段を上がった上に家屋があるところが非常に多い。道路際に郵便受けを設置してくれたら、郵便配達員が、どれほど助かるだろう!
20段以上も駆けあがり、一枚のハガキをドア横の郵便受けに入れて駆けおりる。これは見るに堪えない有様だ、労ってほしい、やめてもらいたい。
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コロナ禍と学校教育

赤ちゃんから大学生まで全員がいま、コロナ禍の影響を強く受けている。健気に知恵を振り絞って工夫をする。
育ちつつある側、育てる側の両方とも真剣で必死だ。不安いっぱいの胸を抱えて今日の、今を頑張っている教育現場の苦心は並大抵ではない。
その様子を引きこもり状態で見守り、応援し賞賛し、不安にも思う日々の私。座して思うのみであるから、せめて思い出話をしましょう。

真珠湾攻撃で日本国民は総立ちになった。大東亜戦争が始まった、必勝当然! 小学校は国民学校と呼び名を変え、子供らは銃後を守る少国民という、晴れがましい存在となった。
それは一瞬の高揚感だった、やがて子供たちの気持ちも落ち込んでゆく。
今回、店の棚からマスクの箱が消えて、空っぽの棚がテレビに映ったが、あの戦争の時は、あらゆる棚が空っぽになった。こうなると教育どころか、食べることしか頭にない。
ところが市街地の人たちが飢えに苦しんでいた時、田畑のある地域の人たちは飢えを知らなかった。同じ日本列島の中で、である。飢えも空襲も知らない人たちが大勢いたのだ!
話はここからだ。ここまでは、よくある昔話。
3年生1学期から4年生の夏休みの終わり頃までを、ほとんど学校に通うことなく過ごしていた私は、ついに4年生の2学期から田舎の学校へ通学することとなった。
父が先に小学校へ赴き、校長先生と話し合って帰ってきた。自転車を降りた父を道端で迎えて、その場の立ち話で聞いた話を覚えている。
日本中の学校が、と父は言った。学力が2年、遅れてるんだそうだ。つまり4年生の学童の学力が2年生並みに下がったということだ。
食料では地域差が出たが、教育では地域差はなかったことになるわけだと、今は考えられるが、当時は聞き入る一方だった。
実際、転校生として入った学校では、復員したばかりだという担任の先生は病気で休みだったから、顔は知らない。校庭で全校生徒の朝礼があり、教室で遊んで喧嘩して、いじめられて、最後に掃除で終わりだった。
細やかな心のケア、休校で影響を受けた学習の指導。外国の学校の様子もわかるし情報交換もできて、世界中が一つになって教育できる。これが今の姿だ。
それでは今の私は、ひどい目にあったなあ、今の子供たちは恵まれているなあ、羨ましいなあ、と思っているだろうか。
ごく親しい、同時代の書き手の仲間とうなづき会い、しみじみと言い交わす、われわれは良い時代に生まれ育ちましたなあ。
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