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コロナ禍と学校教育

赤ちゃんから大学生まで全員がいま、コロナ禍の影響を強く受けている。健気に知恵を振り絞って工夫をする。
育ちつつある側、育てる側の両方とも真剣で必死だ。不安いっぱいの胸を抱えて今日の、今を頑張っている教育現場の苦心は並大抵ではない。
その様子を引きこもり状態で見守り、応援し賞賛し、不安にも思う日々の私。座して思うのみであるから、せめて思い出話をしましょう。

真珠湾攻撃で日本国民は総立ちになった。大東亜戦争が始まった、必勝当然! 小学校は国民学校と呼び名を変え、子供らは銃後を守る少国民という、晴れがましい存在となった。
それは一瞬の高揚感だった、やがて子供たちの気持ちも落ち込んでゆく。
今回、店の棚からマスクの箱が消えて、空っぽの棚がテレビに映ったが、あの戦争の時は、あらゆる棚が空っぽになった。こうなると教育どころか、食べることしか頭にない。
ところが市街地の人たちが飢えに苦しんでいた時、田畑のある地域の人たちは飢えを知らなかった。同じ日本列島の中で、である。飢えも空襲も知らない人たちが大勢いたのだ!
話はここからだ。ここまでは、よくある昔話。
3年生1学期から4年生の夏休みの終わり頃までを、ほとんど学校に通うことなく過ごしていた私は、ついに4年生の2学期から田舎の学校へ通学することとなった。
父が先に小学校へ赴き、校長先生と話し合って帰ってきた。自転車を降りた父を道端で迎えて、その場の立ち話で聞いた話を覚えている。
日本中の学校が、と父は言った。学力が2年、遅れてるんだそうだ。つまり4年生の学童の学力が2年生並みに下がったということだ。
食料では地域差が出たが、教育では地域差はなかったことになるわけだと、今は考えられるが、当時は聞き入る一方だった。
実際、転校生として入った学校では、復員したばかりだという担任の先生は病気で休みだったから、顔は知らない。校庭で全校生徒の朝礼があり、教室で遊んで喧嘩して、いじめられて、最後に掃除で終わりだった。
細やかな心のケア、休校で影響を受けた学習の指導。外国の学校の様子もわかるし情報交換もできて、世界中が一つになって教育できる。これが今の姿だ。
それでは今の私は、ひどい目にあったなあ、今の子供たちは恵まれているなあ、羨ましいなあ、と思っているだろうか。
ごく親しい、同時代の書き手の仲間とうなづき会い、しみじみと言い交わす、われわれは良い時代に生まれ育ちましたなあ。
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