新年2015年
03-01-15 09:20
1月1日という節目は、ありがたい。小分けにした7日の区切りも、ありがたい。私には、こうしたリズムがもたらす弾みが、生きてゆく上で必要なんだと思う。この波の上に自分自身の心身のリズムが乗っている。自分自身のうねりは、振り返るとき目に映るのであり、行く手は経験則には依らない。元旦に私がすることは、本年の漢字一文字を掲げることだ。ことしは「信」。この文字を「夢類」という小舟の舳先に括り付けて漕ぎ続けよう。
昨年は、個人誌夢類に古里同人誌の同人たちが集い来たり、それぞれの作品を書いてくれた、この有り難さを噛みしめている。また、思いも寄らぬことに塩見佐恵子という、尊敬し、愛してきた作家を失い茫然自失している。しかし不思議なことに、彼岸のこちら側に立つ私は、無限大に拡がっていたはずの三途の川幅が、細々とした流れ、ひとまたぎの小川に変わっていることに気付いた。旅だった彼女と私は、あまり離ればなれになってはいない。彼岸を見はるかすと、慕う師、親なども賑々しく見えるのであり、これこそ加齢の恵み、華麗なる饗宴だろう。
昨年は、個人誌夢類に古里同人誌の同人たちが集い来たり、それぞれの作品を書いてくれた、この有り難さを噛みしめている。また、思いも寄らぬことに塩見佐恵子という、尊敬し、愛してきた作家を失い茫然自失している。しかし不思議なことに、彼岸のこちら側に立つ私は、無限大に拡がっていたはずの三途の川幅が、細々とした流れ、ひとまたぎの小川に変わっていることに気付いた。旅だった彼女と私は、あまり離ればなれになってはいない。彼岸を見はるかすと、慕う師、親なども賑々しく見えるのであり、これこそ加齢の恵み、華麗なる饗宴だろう。