文房 夢類
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劣化一筋の政治家

今月26日のこと、自民党の二階俊博幹事長は、東京都内で行われた政治評論家との対談で、少子化問題について次のような発言をした。
「戦中、戦後の食うや食わずの時代も、子どもを産んだら大変だから産まないようにしようと言った人はいない。この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないか、誇れるんじゃないかと勝手なことを自分で考える(人がいる)」。
また、生活水準についても「食べるに困るようなうちは今はない。こんな素晴らしい幸せな国はない」と指摘した。
私は手製のうちわを使っている。これに、発憤忘食 楽以忘憂 不知老之将至 と下手くそな筆で書いた。これは論語の中の一節で、疑問に思うことがあったら寝食を忘れて研究するがよい、というような意味なのだろうが、私の解釈は、まことに自分本位なものであり、立腹すると食事どきになったことにも気づかない、という意味にとっている。何気ない一言に立腹するのである。カンカンに腹が立ってしまうのである。今、二階幹事長に腹を立てていて収まらない。
二階幹事長の女性観について云々の問題ではない。彼の、この発言はジェンダーのフィールドで批判が出るかもしれないが、私の立腹はそこにはない。男女格差の問題では、二階幹事長が何をほざこうが、それ以前に日本は、144ヶ国のなかで114位というランクに位置しているのだ。何がって、男女格差のレベルが、である。G7(主要7国)の中では今年もまた最下位だ。この数字は「世界経済フォーラム」の今年度の報告書による。
二階幹事長の発言から滲み出るもの、それは彼の無知、不勉強だ。政治家の風上にも置けない。それどころではない、人として認めるわけにもいかんのである。
戦中、大日本帝国の政府は、国民に命令したのだ、母たちよ、産めよ、増やせよ。多産の母は褒められた。いったい何のために、こんなキャンペーンを張ったか? 国のため、とかいうもの。二階幹事長が抱く欲望と、そっくり同じものだ。
当時、東京都で生活していた私は、どれほどの食糧難だったか、ひもじい思いをしていたかが骨身にしみている。女たちは、ひもじくて瘦せおとろえていても、その自分の体を損なっても、子を産んだ。産まざるをえなかったのだ、なぜなら人為的に妊娠を左右できなかったのだから。今時代は「子を作る」という言い方をするが、当時は恵まれるものであり、成り行きに任せるしかなかった。どれほど子を望んでも恵まれない場合も多い。欲しいのに生まれない人を石女(うまずめ)と呼び捨てて、これを離婚の原因とすることが社会に通用した。身体に不安を抱える人にとって、妊娠は命に関わる恐怖であった。もう、欲しくないと悲鳴をあげても、次々に生まれてしまうのを、どうすることもできなかったのだ。
二階幹事長は、ついこの間の、このことさえも知らないのか? 学ばなかったのか? 忘れたのか? つまりは他人事なんだろう。そうでなければ、これほど無知蒙昧な勝手なことをほざけるわけがない。
今時代に、子を作れないと言っている人は多い。それは自分自身の老後さえも、先細りの年金を思い、今の政治状態を眺めれば危うくて心細くてたまらないのだ。一昔前は、貧乏人の子沢山と言って、経済的に苦しい家庭ほど子を頼りにした。子を働かせるからであった。しかし今は、AIに取って替わられてしまう職種がどんどん増えるのである。子を沢山産んでも、親の口を潤してはくれないのである。いったい政治家は何を考えているのだろう。
もう一つ、「食べるに困るようなうちはない」と二階幹事長は言った。子供の貧困率を、日本の現状を、どう捉えているのだろう。上野公園の一角で、なんと大勢の人々がその日、一回のゴハンを待っていることか。たがいに言葉をかわすこともなく、ひっそりと集まり来たり、草地に尻を下ろして膝を抱える、慈善団体の車が来るのを根気よく待つのである。イエス様の教えを我慢強く聞く、その後に配られる食物のために。私は腹が立って仕方がない。何か楽以忘憂の種を見つけなければ身がもたない。
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