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7月23日

7月23日、沖縄の慰霊の日。太平洋戦争末期の地上戦で犠牲となった人々を悼む日。平和記念公園で開かれた沖縄全戦歿者追悼式のスピーチを、今年は格別の思いで聞いた。
先月のことだったが、長年お付き合いをいただいている桑原重美氏から、沖縄の学童疎開当時を取材、制作、NHKで放映された氏の作品をDVDに変換してお贈りいただいたことから、当時の沖縄の学童たちについての資料を読み続けていたからだった。桑原氏は、私と同時代の方であるから現在はNHKを退職されて独自の活動に専念されているカメラマンで、執筆された著書も多い。対象との対峙の姿勢など学ぶところが尽きない。戦争末期の学童疎開は、私自身の経験と重なることから他人事とは感じられない出来事だ、沖縄の当時の様相に分け入るにつれて万感の思いが湧き溢れて言葉を失う。
この日の翁長沖縄県知事は、ステージ2の膵臓癌で闘病中のところを「平和宣言」で力を込めて言葉を渡してくれた。70年間が折りたたまれて今現在の平和公園に在るかのような思いが流れる。術後の知事の衰えた姿に衝撃を受けたが、またそれゆえに強靭な精神、沖縄への熱い愛を受け取り心底感動した。さらに続いて港川中学校3年生の相良倫子さんが「私は、生きている」という自作の詩を謳った。長い詩を、はっきりと顔を上げて朗唱したので、朗読したのではない。
やがて安倍晋三の出番となって壇上で言葉を発したが、紙に目を落として読み続け、たまに顔を上げるが一節を記憶でききれないので、ほとんど読み上げる格好になってしまう。自分自身の中から生まれた文章ではないから、機械的に口を動かしているのである。このような式典で彼が読み上げるものは、仄聞するに例年のパターンが出来ており、幾つかの語を入れ替える程度だという。しかもルビ付だという。言葉は、言外の性根までも伝えてしまう。
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