文房 夢類
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何が起きているのか

「キャスター降板 何が起きているのか」とは、2016年1月23日東京新聞の社説の題である。放送の世界で何が起きているのか、という意味だ。4月10月が区切りの時期であるため、3月が締めくくりの月であり、今度の3月末で、TBS「NEWS23」のアンカー、岸井成格さん、NHK「クローズアップ現代」のキャスター国谷裕子さんが降板すると言われ、TV朝日「報道ステーション」のキャスター、古館伊知郎さんの降板が決まった。
 東京新聞の社説はこう書いている。要所を拾うと以下のごとし。
 相次ぐ降板報道が、さまざまな憶測を呼んでいる。政権に批判的だったからではという風評もある。政治報道の番組はストレートなニュースが中心で、解説や評論が減ったという声もある。政治そのものが扱われなくなったという声も聞かれる。事実ならば自由闊達であるべき放送ジャーナリズムの衰退である。
 そもそもNHK会長人事が「首相のお友達を据えた」と言われた。一昨年末の衆院選挙の時は、自民党が在京各局に「公平中立、公正の確保」を求める文書を出したし、昨年にも任意にせよ、TV朝日とNHKの幹部から事情聴取している。権力の動きもまた目立っているからだ。
 同法一条の「不偏不党」の言葉の意味は、言い換えれば「自立」か「独立」である。それを保証するのは公権力の側である。「政治的に公平」という言葉も、自由であるからこそ、自立的に公平さを保ってほしいという倫理規定にほかならない。権力から離れ、自らの掲げた理想を目指し、自らの理性に従って権力を監視するのである。テレビが政治的に元気でないと、この国の民主主義も元気に育たない。
 引用は以上だが、東京新聞が指摘した3人のほかにも、何人かが画面から消されたと思っている。古館伊知郎さんについては、元来が実況の人であり、本質がノンポリの人と感じているので範囲外だと思っているが。
 自主規制が進む中で、それに逆らい、声を上げ続ける人物が干される。これを「風評もある」と表現する東京新聞だが、放送業界のみならず、新聞もまた自主規制に余念がない。バス事故のような事件は執拗に掘り下げる各社が、政治方面となると、シラーッとした書きようで目立たぬように流すではないか? これも風評だろうか? 
 さらに言うと、産経・読売・日経は不動の立場だから論外として、朝日・毎日などが素直な坊ちゃんめいて自主規制、ただ一社、踏みこたえているのが東京新聞ではないか? そして東京新聞は、大手企業の広告が取りにくい状況に追い込まれて経営が苦しいと聞くが、これも風評だろうか?
 よろしい。風評であるならば、風評を風媒花として世間の風にのせて運ぼう。もしも実のある種であったならば、種が落ちたところで発芽し、花開き、実を結ぶだろう。 
 

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