記者クラブ崩壊
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『記者クラブ崩壊』上杉隆著 小学館2010年4月発行ISBN978-4-09825076-9 ¥700 P192 新書版
著者=1968年福岡県生まれ 衆議院議員公設秘書、NYタイムズ東京支局記者などを経てフリージャーナリスト。
内容=新聞・テレビが国民から「知る権利」を奪っている。官僚による情報操作、各社横並びの報道談合、海外メディアの日本撤退、これらの根源が記者クラブにある、という主張と解説。崩壊途上にある記者クラブの現状。
感想=なぜ本書を開こうと思ったかというと、最近の報道に疑問があるからだった。私が高齢になって実生活の中で日々、時間に追われることが減り、新聞社各社の社説を読み比べる余裕もできたことと、書いていない事柄を見る、話していない事柄を聞く、ということができるようになったことも関係していると思う。忙しい年代の、社会の中心的存在の壮年期の人たちは、よほど彼らの職業上必要としない限り、各紙の社説の比較などしたくても時間の余裕など、ありはしない。その年代の人たちが、最も必要としているにもかかわらず。
私自身が新聞記者と接触した経験は、ほんのわずかであったが、それにもかかわらず強烈に印象づけられた姿は、取材ではなくて警察まわりをして、ネタをもらって帰社する、はんこで押したような安穏なサラリーマン生活者の姿だった。書評を書くなどの文化部の記者は、文章も優れて見識の高い方々がいるが。与えられた餌に食いつき、それ以上の欲望はなく、しかも系列の主張からはみ出した意見記事は書かない。政治系も社会系も、どこも澱んだヘドロのよう。こんなふうに感じて不満を募らせる人たちが増えていて、私などは、その尻馬に乗っているようなものである。
さて、日本の記者クラブは、1890年、明治23年、帝国議会が発足した際に、取材を要求する記者たちが「議会出入り記者団」を結成したことに始まる。以来、全国の省庁、自治体、警察などに記者クラブが作られた。
いま、この記者クラブが問題となっている理由は、たとえば政治家の記者会見でも、クラブ所属の記者だけが出席できる仕組みで、フリーの記者や外国の記者などは参加できない。このため、イギリスの女性が殺害された事件の時などは、イギリスの記者が取材できずにたいそう困ったという。亀井静香という政治家がいるが、この人は、記者会見の時間の半分を記者クラブのために費やし、後半半分を大臣室で、フリージャーナリストなどに向けて開いているという。政治家の中にも不満を持つ人が何人もいるのだった。また、著者が所属していたNYタイムズ東京支局には、著者が在籍していた当時は10人以上いたスタッフが、6人に減り、ワシントンポスト東京支局は、支局を縮小、支局長の自宅に移し、ロサンゼルス・タイムズは日本から完全撤退したという。
日本は崩壊する。日本は(いったん)潰れてしまったほうがいいんじゃないか。そんなつぶやき声が湧く昨今に、気の小さい私は思わず深刻になってしまう。1945・8・15。この日にさえ、日本は潰れてしまうんじゃないか、とは誰一人発想しなかったはずだ。
本書も、読んでいただきたい。事実を書き、話す人間が、組織が、どれほど阻害され、はじき飛ばされているかもわかる。
今朝の東京新聞に、こういう見出しで記事が出ている。
「一人の力 未来は変わる 再稼働反対デモ」
このなかに、60歳の主婦の発言が出ている。
「自分で情報を集め、最終的に自分で判断できるようになるため、フェイスブックやツイッターを始めました」。
なんとすばらしいことだろう。高齢の人たちこそが、自分で情報を集め、なにが事実か、誰が誰を、どのように操作したがっているのかを見極めて、社会に還元してほしい。高齢者の持つ眼力、蓄えてきた能力を社会のために発揮してもらいたい。
著者=1968年福岡県生まれ 衆議院議員公設秘書、NYタイムズ東京支局記者などを経てフリージャーナリスト。
内容=新聞・テレビが国民から「知る権利」を奪っている。官僚による情報操作、各社横並びの報道談合、海外メディアの日本撤退、これらの根源が記者クラブにある、という主張と解説。崩壊途上にある記者クラブの現状。
感想=なぜ本書を開こうと思ったかというと、最近の報道に疑問があるからだった。私が高齢になって実生活の中で日々、時間に追われることが減り、新聞社各社の社説を読み比べる余裕もできたことと、書いていない事柄を見る、話していない事柄を聞く、ということができるようになったことも関係していると思う。忙しい年代の、社会の中心的存在の壮年期の人たちは、よほど彼らの職業上必要としない限り、各紙の社説の比較などしたくても時間の余裕など、ありはしない。その年代の人たちが、最も必要としているにもかかわらず。
私自身が新聞記者と接触した経験は、ほんのわずかであったが、それにもかかわらず強烈に印象づけられた姿は、取材ではなくて警察まわりをして、ネタをもらって帰社する、はんこで押したような安穏なサラリーマン生活者の姿だった。書評を書くなどの文化部の記者は、文章も優れて見識の高い方々がいるが。与えられた餌に食いつき、それ以上の欲望はなく、しかも系列の主張からはみ出した意見記事は書かない。政治系も社会系も、どこも澱んだヘドロのよう。こんなふうに感じて不満を募らせる人たちが増えていて、私などは、その尻馬に乗っているようなものである。
さて、日本の記者クラブは、1890年、明治23年、帝国議会が発足した際に、取材を要求する記者たちが「議会出入り記者団」を結成したことに始まる。以来、全国の省庁、自治体、警察などに記者クラブが作られた。
いま、この記者クラブが問題となっている理由は、たとえば政治家の記者会見でも、クラブ所属の記者だけが出席できる仕組みで、フリーの記者や外国の記者などは参加できない。このため、イギリスの女性が殺害された事件の時などは、イギリスの記者が取材できずにたいそう困ったという。亀井静香という政治家がいるが、この人は、記者会見の時間の半分を記者クラブのために費やし、後半半分を大臣室で、フリージャーナリストなどに向けて開いているという。政治家の中にも不満を持つ人が何人もいるのだった。また、著者が所属していたNYタイムズ東京支局には、著者が在籍していた当時は10人以上いたスタッフが、6人に減り、ワシントンポスト東京支局は、支局を縮小、支局長の自宅に移し、ロサンゼルス・タイムズは日本から完全撤退したという。
日本は崩壊する。日本は(いったん)潰れてしまったほうがいいんじゃないか。そんなつぶやき声が湧く昨今に、気の小さい私は思わず深刻になってしまう。1945・8・15。この日にさえ、日本は潰れてしまうんじゃないか、とは誰一人発想しなかったはずだ。
本書も、読んでいただきたい。事実を書き、話す人間が、組織が、どれほど阻害され、はじき飛ばされているかもわかる。
今朝の東京新聞に、こういう見出しで記事が出ている。
「一人の力 未来は変わる 再稼働反対デモ」
このなかに、60歳の主婦の発言が出ている。
「自分で情報を集め、最終的に自分で判断できるようになるため、フェイスブックやツイッターを始めました」。
なんとすばらしいことだろう。高齢の人たちこそが、自分で情報を集め、なにが事実か、誰が誰を、どのように操作したがっているのかを見極めて、社会に還元してほしい。高齢者の持つ眼力、蓄えてきた能力を社会のために発揮してもらいたい。